ブックマーク / ta-nishi.hatenablog.com (14)

  • 『45歳独身狂う説』が真となるか偽となるかは、ひとえにその人が自分軸タイプなのか他人軸タイプなのかにかかっている - 自意識高い系男子

    独身の才能 note.com ↑小山(狂)氏のnote記事を切っ掛けに、Twitter男女論界隈*1で『45歳独身狂う説』が再燃していた。説の元ネタは界隈のnote売りポンデベッキオ氏。小山(狂)氏の今回の記事は、ベッキオ氏の「狂う」という主張への反証という形になっている。 note.com 私は46歳独身おじさん当事者なので、この説を額面どおり真に受けるなら既に「狂ってる」という事になる。しかし前回の記事で書いたとおり私は独身ではあるが自分の人生に満足しており、幸せで充実した人生と自負しているので、この説については無駄に若者の不安を煽る事実に沿わない悪質な流言と考えている。noteを売るための不安煽り商法だろう。 ブログ婚活、失敗しました - 自意識高い系男子 世の中には「結婚しない人生は今がよくても将来は悲惨だ」と不安を煽る言説をまき散らす方も多いですが、私の見るところ別にそんなことは

    『45歳独身狂う説』が真となるか偽となるかは、ひとえにその人が自分軸タイプなのか他人軸タイプなのかにかかっている - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2024/06/03
    ポンデベッキオさんって未婚は地獄みたいな考えを吹聴するよね。自分の楽しみを見出せない人は妻や子どもが最良の希望になりえるだろう。でも自分の楽しみを見出せる人は、自分の時間を削ぐ人だよ。
  • 内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために - 自意識高い系男子

    個人の内発的動機で駆動される社会、『個人主義ユートピア』 p-shirokuma.hatenadiary.com amamako.hateblo.jp ↑の辺りを読んで。 かつて00年代の2chやニコニコ動画において存在した、金にならないからこそ発生した平等意識。それを私は「個人主義ユートピア」と呼んでいます。同様の個人主義ユートピアは、00年代はてなダイアリーやプロ化以前のゲーセンにもありました*1。 ニコ動にあってyoutubeにはないもの。はてなにあってnoteにはないもの。ゲーセンにあってe-sportsにはないもの。それが個人主義ユートピアです。 これら個人主義ユートピアを成立させるために肝要なのは、「金と権威」をコミュニティから取り除くことです。金と権威が得られるとわかるや否や、それ目当てのハイエナどもがコミュニティに群がってくる。ここはてなでも10年代初頭にアフィリエイトブロ

    内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2023/12/24
    創作やゲーム自体が楽しみという報酬の世界と、勝つことでお金を得られる報酬の世界。結果の報酬はどんどん効率化、合理化し、中身を形骸化してゆく。学校の勉強もこれで中身を失ったのだよね。
  • おまえが『人生の主人公』でないのは凡庸だからではなく、『選択と結果』を引き受けてこなかったからだよ - 自意識高い系男子

    anond.hatelabo.jp blog.tinect.jp 上記2つの記事を読んで。 中年になってモブ人生が確定してマジでつらい 生まれてからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。 ↑の一文にすべてが書かれている。増田がモブであり自分の人生を生きれていないと感じている理由は人生でなにも得れなかったからではなく、「選択と結果」を引き受けてこなかったからだよ。 なにも選択しない受け身の人生であれば、それがどれほど成功した人生だろうとも「主人公感」に乏しく「やらされてる感」が出てくるのは当たり前だろう。逆に自分から主体的に選択した人生であればそれがどんなに失敗した、あるいは平凡なものであろうとも「やらされた」「人生の主人公は自分ではない」なんて感覚は出てこようハズもない。時にその選択を深く悔やみ、死ぬほど苦しむハメになることはあるだろうがたとえそうなったと

    おまえが『人生の主人公』でないのは凡庸だからではなく、『選択と結果』を引き受けてこなかったからだよ - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2023/12/13
    「やらされ感」で生きてくると、否定でしか自分のアイデンティティを確保できないんだよね。だから自分の好きなもので選ぶことが大切。否定の排除の中に、自分の大切なものを捨ててしまうかもしれないので。
  • 「本当は脱ぎたくなかった」とか言われても、俺だって本当は働きたくないよ。 - 自意識高い系男子

    労働において「当は脱ぎたくなかった」なんてどうでもいい note.com ↑吉岡里帆が当はグラビアの仕事が嫌だったのかなど、どうでもいい話だ。この世の中にやりたい事だけやっていれば成立する仕事などひとつもない。 「やりたくない事だけど仕事だから仕方なくやった(やらされた)」。社会人でこのような経験を持たない人間など男女関係なく誰一人として存在しない。人によってはグラビア撮影もそのひとつだろう。私だって当はそもそも働きたくないのに働かされている。私たちは働かされた。5000兆円欲しい。 グラビア撮影は女優の仕事として一般的に想定内の仕事だ。求められることに不自然さはない。どうしても嫌なら仕事を断ればいい。それではライバルたちに遅れを取るといわれても、それは求められる業務で実績を出せなかったのだから当たり前だ。私だって特許出願のノルマなどやりたくないけれど、やらなければ査定を落とされ出世

    「本当は脱ぎたくなかった」とか言われても、俺だって本当は働きたくないよ。 - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2023/06/16
    脱ぎたくなかった問題は、男の働きたくない問題を刺激するんだよな。働きたくないのに、いやな仕事をしたくないのに、むりやり生活のためにさせられる。強制だらけだ。強制が犯罪にならないのは了承・合意のため?
  • おまえは便所の落書きのつもりでブコメを書いているのかも知れないが、その便所の落書きには受け取り人がいるんだよネットでは - 自意識高い系男子

    ブクマカだけで議論w してんじゃねーよ yoppymodel.hatenablog.com はてなブックマークの攻撃性問題は、ブクマカだけで議論しても無意味である。なぜならブクマカに迷惑をかけられている「被害者」は、ブクマカではなくブロガーだからだ。加害者であるブクマカだけでいくら議論wを重ねたところで、自分たちがいかに楽しく罪悪感を感じずに被害者をいじめるかという話しか出るわけがない*1。 それなりに炎上経験のある有名はてなブロガーで、はてブを好きな人間などいない。今回炎上の中心となっているヨッピー氏は言わずと知れた超有名ブロガー/ライターだし、過去を振り返ってみてもid:fujipon氏、id:p_shirokuma氏ら、名だたるはてなブロガーがはてブを批判している。 fujipon.hatenablog.com p-shirokuma.hatenadiary.com 前垢から含めて2

    おまえは便所の落書きのつもりでブコメを書いているのかも知れないが、その便所の落書きには受け取り人がいるんだよネットでは - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2023/03/01
    サンドバッグやTVへの文句みたいに思っている人への、ブロガーからの気持ち。壁の向こうには、ひとつひとつの意見に傷つくナマ身の人間がいる。ブクマの窓の向こうには、ひとがいる。
  • 婚活の場はなぜあんなにもつらいのか、マルクスを使って解説する - 自意識高い系男子

    Q:婚活の場は、なぜあんなにもつらいのですか? A:人間が物象化され、疎外に晒される場だから。 …と書けば私がなにを言いたいのか、マルクスを少しでもかじった事のある君のような勘のいいガキなら一行で理解できる話ではあるのですが、理解できなかった方のために3000字程度の補足を。 「物象化」は『資論』で有名なカール・マルクスが唱えた概念で、人間関係が物と物の関係のように扱われる事を言います。言い換えれば人間を「機能」として扱うこと。人間関係には「機能」の部分と「情」の部分がありますが、この「機能」として他者を扱うことが「物象化」です。 [例] 同僚の山田さんが転職することになりました。このとき「山田さんがいないと仕事が回らなくなる。困ったな」と感じる部分が「機能」(=物象化)。「山田さんがいなくなって寂しいな」と感じる部分が「情」。 資主義と能力主義の現代社会で生活する私たちは、会社など労

    婚活の場はなぜあんなにもつらいのか、マルクスを使って解説する - 自意識高い系男子
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    ueshin 2023/01/24
    中古車市場みたいに機能だけを査定される厳しい場所になるからという理由。マルクスでは物象化、疎外とよぶ。情の結婚が市場化された。情の結婚したければ、スペック査定をゆるめるか、その手前で止まる。
  • 幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。愛される父親になることが夢だった。 - 自意識高い系男子

    幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。子供から愛される父親になることが夢だった 幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。子供から愛される父親になることが夢だった。 私は若いころから社会的な「何者か」になりたいと願った記憶がほとんどないのだけれど、唯一なりたかった「何者か」が「子供から愛される父親」だった*1。 私が育った家庭は夫婦仲が悪く、私は父のことが嫌いだったので、父のような人間にだけはなるまいと思いながら私は生きてきた。 父は母をまったく大切にせず、世間体ばかりを気にし、ほとんど家に帰ってこない人間だった。かといって仕事に生き甲斐を見出しているわけでもなく、毎日仕事を辞めたいと愚痴をこぼしながら、ただ流されるままに人生を送る意志薄弱な人間だった。少なくとも長男である私の眼に父はそう映っていたし、その印象は私が40代半ばを迎えたいまでもまったく変化していない*2。 父と母の間には、ひ

    幸せな家庭を築くことが人生の目標だった。愛される父親になることが夢だった。 - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2021/11/14
    親みたいになりたくないといって、まったく親みたいになるか、反対の人生を生きてしまうか。親はいつまでたっても、相対化できないというか、客観視がむずかしいんだな。
  • 長男と女性は大学に行かせないことが常識だった、1965年ごろの長野県山村の話 - 自意識高い系男子

    togetter.com ↑元の話題とはあんまり関係ないんだけど、一連の地方と学歴の話の中でふと思い出した話題があったので今日はその話でも。 私の母方は兄母弟の3兄妹なんだけど、みんなそろってとても頭がよかったらしく、実際、弟は早稲田大学を卒業している。その弟氏曰く、「勉強では兄ちゃんと姉ちゃんにはとても敵わなかった」とのことなんだけど、その早稲田弟よりも優秀だったらしい「兄ちゃんと姉ちゃん」は高卒だ*1。 これはなぜかというと、母の実家である長野県山村では、当時(1965年ごろ)長男は農家を継ぎ女性は嫁に行くというのが人生の既定路線だったから。どうせ家を継ぐのに、どうせ嫁に行くのに、学歴なんてあってもしょうがない。当時、母の父(私の祖父)はじめ田舎の人間たちはそう考えていた。 当時の田舎の常識に照らし合わせて考えてみれば、確かにこれは合理的だったのだと思う。農家の仕事をするのに学歴なんて

    長男と女性は大学に行かせないことが常識だった、1965年ごろの長野県山村の話 - 自意識高い系男子
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    ueshin 2021/06/08
    農家の経済圏から放り出されるのは弟であって、市場で高学歴を身につけて生きていかざるをえなかった。その市場に出た弟が世の中心になったり、席巻したのが現代。都市に出たのは余りものだった時代。
  • 弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子

    15年ほど前の私は、当時はてなダイアリー界隈で流行していた「非モテ論壇」の一員だった。「スクールカースト」をはてなキーワードに登録した人間だと言えば、伝わる人には伝わるのかも知れない*1。 最近流行の弱者男性論の内容は、当時の非モテ論と重なる部分が非常に多い。焼き直しと言ってもいい。唯一違うのは、当時の非モテ論壇では現在弱者男性の定義のひとつとされている「経済力」が完全に無視されていたことだ。 当時の非モテ論者は20代の若者がほとんどで、半分くらいは学生だった。この年代の若者にとってモテと経済力はほとんど相関がなく、モテを左右するのは主に容姿やコミュニケーション能力やサークル内での立場等、要は「異性にとっていかにイケている存在か」という「恋愛規範」にいかに乗れているかという部分で勝敗のほとんどが決する。当時の非モテ論壇で経済力が全く重視されていなかったのは、論者の若さに拠る部分が大きかった

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    ueshin 2021/05/06
    リア充みたいな騙したり、ウソついたりする軽薄なやつらが嫌いだから、私はひたすら陰気でモテない自分を守り通す。倫理観なのね。他者の要望に合わせることは自己の欺瞞だ。その対立の自己もただの幻想の物語。
  • 健康も楽しみも失ったうえ、誰からも必要とされず社会的コストにしかならない老後の人生など送りたくないので、60歳を超えたすべての国民に『安楽死権』を与えて欲しい - 自意識高い系

    『社会的コスト』でしかない老後など、送りたくない 私も昨年、ついに40歳を迎えた。40歳といえば、人生80年のちょうど半分だ。自然と『死』について考えることが増えてくる。 死について考えれば考えるほど、現代社会において、長生きはリスクでしかないと思えてくる。年末田舎へ帰省し、ますます老い、死期の差し迫った祖父母を見て、その気持ちはますます強くなっていった。 身体も頭脳も精神も老い衰え、ちょっとそこまで外出する程度の健康すらも失い、痴呆が進み、人生を楽しむ気力も無くなり、ただただ、生きているだけの人生。自分のい扶持すら稼げなくなり、介護や老人ホーム等で、健康面でも金銭面でも家族や周囲に負担をかけながら、若い世代が支払ってくれている年金で「生かしていただいている」だけの、社会にとって、ただただ、コストでしかない人生。 そんな、生きているだけで負債となるような人生を、私は送りたくはない。こんな

    健康も楽しみも失ったうえ、誰からも必要とされず社会的コストにしかならない老後の人生など送りたくないので、60歳を超えたすべての国民に『安楽死権』を与えて欲しい - 自意識高い系
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    ueshin 2018/01/06
    若い人が明日死ねるかといわれるとだれもが拒否するように、年とっても同じ感覚がつづく。年とっても、主観的には同じ自分がいるんだよ。
  • 「いまの日本では、大学くらい出ておかないと幸せになれない」は幻想。90年代『自分らしさ』的個性尊重主義は、いまこそ再評価されるべき - 自意識高い系男子

    いまの日では、学歴は個人の人生や幸せをそこまで大きく左右しない anond.hatelabo.jp ↑「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」「大学くらい出ておかないと子供は幸せになれない」といった親側の意識があり、それが子育てにかかる前提となるコストを過剰に引き上げ、結果少子化の一因になっているのでは?という話。同意。 そもそも「大学くらい出ておかないと子供は幸せになれない」という前提の部分に、私は大いに疑問がある。大学進学は幸せな人生の必須条件ではないと、高卒の私自身が日々実感しているからだ。 私は大学に通っておらず、最後に出たのが無認可の専門学校なので公的な最終学歴は「高卒」ということになるが、そのことで損をしたとか惨めな思いをしたという記憶がない。 そんな私なので、「子供を大学にも行かせられない人間は親になる資格がない」とでも言いたげな上記記事のブコメの論

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    ueshin 2016/10/05
    学歴や世間の基準で生きていたら、幸不幸を決めるのはいつまでたっても世間様。
  • 『オタクvsサブカルは、ありまぁす!』と、オタクサブカル老害エリート文化人のみなさまに言ってやりたい - 自意識高い系男子

    何度目だ タイトル、正確には「ありました」と過去形なわけですが。 オタク対サブカルという来はなかった対立項を無理やりデッチ上げたのはまったくロック的感性のないオタクアミーゴスの連中ですよ。@ugtk— 町山智浩 (@TomoMachi) 2016年5月31日 ↑町山智浩氏の「オタクvsサブカルはなかった」発言。以前、竹熊健太郎氏が同じようなことを言っていて、うちのブログでも「んなわけねぇだろ!」と反論しましたが。 なんで私と町山竹熊両氏の間でこんな認識の違いが産まれてくるのかっていうと、私の中では結論はもう出ていて、要するに世代と環境の違いなんだと思います。 町山氏も竹熊氏も60年代産まれで、サブカル黎明期に思春期を送った世代です。確かにこのころはまだ、オタクとサブカルは対立していなかった。オタクはサブカルの一流派であり、マンガも洋楽もアニメもYMOも映画も特撮も、全部平等に消費していた

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    ueshin
    ueshin 2016/06/10
    まったくわからない世界だが、宮崎勉事件で暗くてキモイオタクに対抗するイケててオシャレなサブカルという流れは生まれそう。オウムは精神世界にいって。
  • 赤木智弘氏は、フェミニズムというよりも学校教育的価値観を真に受けすぎた「不幸ないい子」なのだと思う - 自意識高い系男子

    「いい子」ほど、実社会と乖離した学校教育の価値観に苦しめられる togetter.com 赤木智弘氏は、「学校教育の失敗」なのだと思う。↑のまとめが言う「フェミニズム的良識」は、「学校教育的良識」というのがより正確だと感じた。 私の学生時代、恋愛という行為は、学校教育では推奨されていなかった。「モテ」や「セックス」に至っては、「不純異性交遊」という言葉に象徴されるように、「悪」とすら感じられる扱いだったように思う。化粧、スカート丈、髪型など、異性に自分を魅力的に見せる「オシャレ」全般が否定されていたのも、この一貫だ。 恋愛は不良の嗜みであり「悪い」行い。大人になったいまにして思えばそれは、 子供に悪い虫をつけたくないという親の要望。 遊びやセックスに奔放になり、管理しづらく面倒くさい生徒が増えることへの学校側の予防。 という、完全な「大人の都合」によるものだったのだが、小中学生である私たち

    赤木智弘氏は、フェミニズムというよりも学校教育的価値観を真に受けすぎた「不幸ないい子」なのだと思う - 自意識高い系男子
    ueshin
    ueshin 2015/03/25
    学校と実社会の価値観はずいぶん違うもの。学校の価値観は洗い流したほうがいいかも。
  • 「産まれと才能 > 努力」だと思う人が、ひと昔前より増えていると感じるし、実際「努力が報われない世の中」になってると思う - 自意識高い系男子

    為末さん、あなたがそれ言っちゃあ… 成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。— 為末 大 (@daijapan) 2013年10月21日 為末大さんという人は、とても自己洞察が深く、とても正直な人だと思う。成功者というものは往々にして、自分の成功の要因は産まれや運や才能ではなく、努力にあったと思いたがるものなのに、「産まれと才能 > 努力」ということを、平然と言ってしまう*1。 私ももちろん、「産まれと才能 > 努力」だと思っている。これは私だけでなく世の中の流れとして、ひと昔前に比べてより多くの人が、「産まれと才能 > 努力」だと思うようになってきていると感じられる。 この「空気」を作り出しているのは、

    ueshin
    ueshin 2013/10/27
    「努力して報われる社会」も目標がカネと権力だから、そういう目標自体みんながめざすものかという疑問もあるね。
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