「ケンタッキーのマティーニ」を口にするエグジー、いや演じるタロン・エガートンの表情に、いやあ「イギリスのスパイ」そのものの顔になったなあ、受け継いだなあ!と思う。前日マックイーンが出てくる映画を見ていたもんだから、冒頭では、「大脱走」の、アメリカ人に「くたばれ!」と密造酒を振る舞われたイギリス人が「植民地に乾杯!」と返す場面を思い出していた。 (以下「ネタバレ」あり) 一作目もそうだったように、描きたかったのだろう一番の「夢」が浮かび上がってくる映画だった。今回はシャンパン(ジェフ・ブリッジス)の言う「法を犯しても人間だ」。私にはそれは、冒頭エグジーが駆け付ける旧友の誕生日パーティの席での、犬のJBを預かるの預からないのというやりとりにまず表れているように思われた。「おばあちゃんの世話」に「アレルギー」、人には事情があるのだから、預かれないからといって友達じゃないわけじゃない。そんなことで
私がこれまで最も「これは自分だ」と思った登場人物の一人は「(500)日のサマー」のサマーなんだけれども、この映画でも、「主人公が恋する(認識する)相手」であるところのイチ(北村匠海)に自分を重ねそうになる瞬間があった。でもこの話はそちらにはさほど行かない。彼にも事情があることは示されるが、その真面目さの種類や度合いは明かされない。 イチを「天然王子」、「生まれながらの…」存在として捉えるヨシカ(松岡茉優)は、「視野見」でしか彼に接してこなかった。「透明」でいることは寂しいのと裏腹に卑怯でもある。「何故かな、君だけが僕を見ていないことが気になって」ってそりゃそうだ、えっ俺ずっと「対象」の側なの?ってことだろう。少なくとも映画からはそう読める。 誰かの頭(髪)を触るという行為がいかに重大なものであるか、それをするのに互いの意思がいかに大切であるかという(そのことに色々なことを託している)話でも
彼女が喫煙者かも……みたいな増田を見てふと気づいた。 おれ、たばこが続かない。継続して吸うことが無いのだ。 ほら、たばこって大麻よりも依存しやすいみたいなことよく言われるじゃん。 事の真偽は知らないけど、そんなに中毒性が強いのに、なんで吸っても吸っても続かないのかなあと気になるんだ。 今やたばこなんて害悪でしかなくて、吸えば吸うほど健康も悪化するし後ろ指をさされるしでいいことが無いのは知ってる。 でもなんかこう、そんなに中毒性が高いものなのに続かないっていうのは、自分の体のどこかがおかしいんじゃないかって、ちょっと思うんだ。 ある意味、「趣味が禁煙」「禁煙なんて簡単だ。その証拠に私は何度も禁煙している」みたいなものなのかもしれないけれど。 初めて吸い始めたのは大学生のころだったかな。 それまではむしろたばこなんて嫌いだったんだ。 小学生の時に所属していたスポーツチームの監督が、喘息持ちのメ
TL;DR iOSDC Japan 2017 というイベントが先日開催され、そこでReact Nativeを題材に何かトークをしようと応募したら、まんまと枠をもらえたので話をしてきました。 事前のリサーチでiOSのエンジニアはReactやReact Nativeについて名前や概要ぐらいは知っているけど使ったことのある人は多くないということが分ったので、まずは興味を持ってReact Nativeの環境をインストールしてもらうことをゴールに、Reactプログラミングのパラダイムや思想について、iOSエンジニアが普段行なっているネイティブアプリ開発とどのように違うのか? という内容にしました。 いくぶん抽象的な話に終始してしまい力量不足で本当はもっとわかりやすい説明をしたかったなと反省しつつも、実践的な内容はこれからも各所で見られることになると思うので是非React Nativeにご注目ください
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