芸者や娼婦などをしながら各地を転々としていた阿部定は、名古屋の小料理屋で働いていた1935年4月頃、客で来た大宮五郎と交際するようになった。初めは実名や身分を隠していたが、中京商業学校の校長で名古屋市会議員であった。大宮は定のことを真面目に考えており、将来はおでん屋のような小料理店を経営したらいい、まずは料理屋で働き、料理を見習ったらどうか、と定に勧めた。 1936年(昭和11年)2月1日、定は「田中加代」の偽名で東京・中野にある鰻料理店「吉田屋」の住み込み女中となった。10日ほどで、店の主人・石田吉蔵と定は関係を持つようになり、他人に気づかれないように店を離れたびたび二人で会うようになる。石田の妻もこの関係を知るようになり、4月22日に二人は出奔。渋谷、玉川の待合を転々とする。5月11日から東京市荒川区尾久の待合「満左喜」に滞在する。ここが事件の舞台になった。 性行為の間、定はナイフを石