赤の他人は本当にどうでもいいわけであり、生きても死んでもどっちでもいいし、どちらかと言えば死んでくれた方がいいが、しかし本当にどうでもいいから、死んでくれなくてもいい。 生きていてもそれはそれで構わないんだ。 そういう赤の他人という生き物に囲まれて、われわれは生きている。 では、なぜその赤の他人に囲まれていて、世界を共有出来るのかと言えば、そいつらにも家族はいて、そこに象徴的な相似性があるからである。 甲さんというどうでもいい赤の他人がいるとして、そいつが殺されたとする。 この時点ではわれわれにとってどうでもいいわけだが、甲さんの家族が登場してくると話は違ってくるのである。 甲さんの父親の憤りや、甲さんの母親の嘆きに接すると、その父親や母親という象徴的な立ち位置から、なんか他人ではないぞという気がしてくる。 もしくは甲さんが働き盛りの男だったら、残された子どもの悲しみでもいいのだが、そうい