ほとんどテンプレとなっているこの定型文があるわけである。 これはミスディレクションを誘うものでしかない。 いじめとは政治的に最下位を決めるゲームである。 だから、こいつなら最下位という納得感が求められる。 最下位になるにふさわしいスペックの持ち主だったり、もしくは発達障害だったりするわけである。 つまり、いじめというゲームを行った場合、誰が最下位になるかは予測が付くので、その意味では、そいつが最下位たる理由は言える。 こういう問題があるからこいつは最下位なんだと言えるわけである。 「いじめはいじめられる側に問題がある」という定型文のどこがミスディレクションなのかというと、こうやって最下位を決めるゲームを主催する必然性が説明できてないからである。 最下位決定戦で最下位になる奴には、それなりに最下位になるべき理由はあるが、その最下位決定戦を主催するべき理由は説明出来ていない。 頭が悪いのか意図