ブックマーク / www.highriskrevolution.com (20)

  • PCエンジンCDROMと物品税 | Colorful Pieces of Game

    1988年の12月4日はPCエンジンCDROMの発売日だった。 さて。 PCエンジンCDROMは、PCエンジン体、インターフェースユニット、CDROMの3つの部品として発売された。 当時は物品税と呼ばれる贅沢品にかかる税金があり、CDプレイヤーにはかかることになっていた。 だからインターフェースユニットとドライブを同梱すると、インターフェースユニットまで物品税がかかってしまうので、別売された。それぞれの値段は インターフェースユニット→27,000円CDROMドライブ→32,800円PCエンジン体→24,800円 定価ベースでは、なんと84,600円という、超高額ゲームマシンだった。 これが89年4月に物品税が廃止され消費税が導入されることになり、インターフェースユニット+CDROMドライブとしてセットで57,300円で売られるようになる。 ここまでは誰でも…ではないだろうけれど、よく

  • 1988年のPCエンジンCDROM | Colorful Pieces of Game

    とても楽しいハドソン系の飲み会があり、そこで預かってくれないか? と言われたのが、1988年9月に作られたNO・RI・KOのディスクだった。 ウラノリコと書かれているのは、画像データの大半が仮素材の代物だったからだ。 なお、当時のスタッフがPEというエディタで適当に描いたもの。 NO・RI・KOはアルファシステムが制作しているので、マウスで適当に描かれたテキストに結構九州弁が含まれているのがなかなかに面白い。 これはスタンパ(と当時は僕らは呼んでいた)形式、つまり当に生産されたもので、記憶ではマスターを出すとだいたい一週間ぐらいすると来るものだったわけだけど、どうしてこんな仮素材の代物をスタンパにしたのか? 誰も当にCDROMでゲームがちゃんとが動くのかわかっていなかったし、見たこともなかったから、実ディスクを作ってみるのが必須だった 1988年8月ぐらいまでBIOSを作っていて(僕も

  • 『上海』を作った人達 | Colorful Pieces of Game

    『上海』の難易度についての話を書いたら、さすがワタクシのお友達たち、ハンパではない経歴の持ち主の人たちばかりで、次々と驚くべき事実がわかったので、今回はそれについて書いていきたい。 まず、なにより『上海』というゲームのオリジナルの来歴自体がとんでもなく面白かったので、そこから話を始めていきたい。 元システムソフトの石川さんと話をしていたとき、オリジナルの(Activisionの)『上海』の話が出たのだけど、ではオリジナルとはなんぞやと調べてみた。 そして『上海』について検索すると、例によって信頼の全くおけない日語版wikipediaがトップの方に出てきて「オリジナルはマッキントッシュ」と書かれていたのだけど、いくら調べてもそのソースが見つからない(ついでに書くと誰かが書き直した。だがPLATOだというソースはどこにもないので、なんだかなあと思ったが)。 Activisionのゲームだから

  • イースⅠ・Ⅱ通史(8):『ファザナドゥ』開発物語(1) | Colorful Pieces of Game

    これはイース通史の中で、イースとは直接的には関わりのないエピソードなのだけど、ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』のエピソードだ。 まず『ファザナドゥ』という作品について、簡単に説明しておきたい。 『ファザナドゥ』はファルコムの大傑作ソフト『ザナドゥ』を、ハドソンがファミコン用に移植したゲーム、ということになっている。 「ということになっている」というのは、発売されたゲームが、まるで別物だから。 ここで名誉のために書いておくと『ファザナドゥ』は、まあまあ出来がいいRPG要素の入ったアクションゲームだ(RPG要素の入ったと書いているのは経験値による成長サイクルがないのでCRPGとは呼び難いから)。 ただアイテム名やモンスタ―名、それとも称号に共通しているものがある以外は、何一つ『ザナドゥ』と共通点がなく、「どうして『ザナドゥ』の名前がつ

  • ストアで売れる電子書籍(epub3)をワードから作る方法::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    ukidousan
    ukidousan 2018/09/10
  • ダームとピーターパン::Colorful Pieces of Game

    と、たったこんだけで、実に簡単な方針だ。 この方針はCDROMのいい所だけを見せて、悪い所は見せないためのものだけど、実際に作るうえで、特に重視していたのがオープニングだった。 バカ高いCDROM(全部合わせて当時の物価で85000円だ)を買ってよかったと思ってもらうためには、オープニングで何がなんでも心をつかむ必要がある。 ハリウッドの格言にあるという「火事で始めて、地震へもってけ」というヤツだ。 (この格言をどこで覚えたのか、未だ思い出せないのだけど…そもそもハリウッドなのかも不明である) 実際にどうするかも決めていて、オープニングでド派手なCD音源の曲が鳴って、スペクタクルな感じのイースのデモが始まって、ナレーションがかぶされば、当時のゲームマシンと比較して、CDROMの持っている絶対的な武器、具体的にはCDオーディオ・使い捨てできる容量・音声が全部出ることになる。 これが、ユーザー

  • 星くんとの会話::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    ukidousan
    ukidousan 2014/11/24
    このドライバの仕様メモリが貴重な当時でも何とかできない事情があったんだろうか
  • イースⅠ・Ⅱのデバッグモード::Colorful Pieces of Game

    イースⅠ・Ⅱには未公開の隠しコマンドがあるって話を書いてたけど、これを同人誌に載せようと思ってすっかり忘れてたので、まああっしが突然死しても残るように、ここに書いておく次第だw もちろん、あっしが死ねばそのうちこのサイトも消えてしまうのだけど、まあイロイロな形で残るっしょ。 ●使用上の注意 デバッグメニューでは当たり判定消したりできるので、フツーに展開がハマることになる。そうなっても自己責任で。 つーか、これ、自己責任でよろしく。どーなってもあっしは責任取れんw オリジナル版はもちろん、アーカイブス版でもVC版でも動く。確認済みw これをフルに駆使すると「わかっていれば」、あっというまにゲームをクリアしたりできるので、まあTASにでも使ってみても面白いかも。 というわけで、24年も前のゲームの隠しコマンドを公開するのもなんなんだけど、公開しておく次第。 コマンドは続きでw ■イースI・II

    ukidousan
    ukidousan 2013/03/07
    残ったままなのか >アーカイブス版でもVC版でも動く /もうTASられてる・・・http://www.nicovideo.jp/watch/sm20391874
  • 15年以上前のCDROMはバックアップしたほうがいい::Colorful Pieces of Game

    今、たまたま日に帰ってきているのもあり、僕が持っている開発バージョンのPCエンジンCDのバックアップをしていた。 1989年頃のCDだから、23年前のディスクだ。 当ならPCエンジンのCDROMは全部バックアップを取っておきたいのだけど、さすがに枚数が多すぎて、今回は開発ディスクと自分の好きだったソフトに絞ろうと思っているのだけど、このバックアップを取っている作業をしているうち、89年10月21日版のイースが読めない事実が判明した。 まあ海外版イースだの一番古いイースだののあたりは読み取れて、89年11月7日がイースのマスター版なので、これはデバッグのほぼ最終版、言い換えるなら違いがほとんどないバージョンだからまあいいか…などと思っているのだけど、なんにしても23年前のCDROMの読み取りは既に不安定なものがあるというのだけは確かだ。 CDは発売当時は半永久的に保つことに宣伝ではなって

    ukidousan
    ukidousan 2012/04/05
    CD-Rじゃなくてプレスの方ももう寿命が来てるのか
  • ゲームレビューについて::Colorful Pieces of Game

    このメーカーはどこまでレビューに干渉できる? 誰も語らなかった「メーカーチェック」の表と裏とはで「メーカーはどこまでレビューに干渉出来る」と銘打たれながら、実際にレビューをやっているライターの意見や声が具体的な形で載っている部分が少ないことが気になったので…そして書きにくいのも分かるので、実際やっていた人間が経験を書いておく(当たり前だが、現役でレビュワーやっている人間がヘタにそういうことを書くこと自体が物議を醸すのは明らかだろう)。 ※ 推敲中に「具体的な形で載っている部分が少ない」ってのを削ってしまっていたのを付け加え直した。 さて、ゲームのレビューはBeep!で勝手にやってたのから、今までだからかれこれ25年ぐらいやっていることになる。 このうち、いわゆるゲームに点数をつけるレビュワーをやってたのは1988-1999の11年間。PCエンジンとPS1で、記事で話題になっているのはもちろ

  • 超実録裏話 ファミマガ はメチャクチャ面白いよ!::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

  • 悪夢の思い出::Colorful Pieces of Game

    人間って奴は都合良く出来ていて、つらい思いも時間が経てば「楽しい思い出」って奴に変化するし、ましてや「楽しい(美しい)思い出」なーんてもっと楽しい(美しい)思い出って奴に変化してしまう。 これが現実世界の失恋だったり、もしくは高校時代のクラブ活動の内容だったりするうちは、実にいいんだけど、ことゲームに関してはまさに悪夢。 思い出って奴は古いゲームの移植、もしくはリメイクするときには、まさに最強の敵となって立ちはだかるのだ。 これが「思い出」にならない新しいゲームの移植だったりすると、単純に移植レベルの問題になってくれるから話は簡単。 大半のアーケードゲームから家庭用マシンへの移植がこれで、「どれくらい似ているか?」で勝負がついてしまう。理想形は1ドットも違わないことで、最高に悲惨なのが絵も音も偽物。 つまり旬のゲームを移植する場合は純粋にスペック+技術の問題になり、ほぼ同等もしくはそれ以上

  • カーソルキーと左スティック::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

  • 左利きにとっての3DSの恐怖::Colorful Pieces of Game

    DSを触って左利きの思ったこと 年末から年始にかけて、ご多分に漏れず僕もゲーム三昧で、年末は仕事が忙しくて、最近はあまりプレイ出来なかったFFやったり、まあ年末に出たゲームを遊んでいたのだが、その中にはDSのゲームがある。 このDSというゲームマシン、個人的には大変に気に入っている。 少々大きいと思うし、デザインもちょっと安っぽいと、まあ気に入らないところもあるが、タッチスクリーンの楽しさは今までにない感覚で、大変に面白いと思う。(現在での注:初代DSの話) 個人的には『君のためなら死ねる』が実にバカらしいノリで、そこはかとなくエッチで、大変に気に入っているのだが、実は、この気に入ったソフトのある、気に入ったマシン、DSを…買おうかどうしようかずいぶん迷っていたのだ。 というのも「DSは果たして左利きの事も考えて作ってあるのか?」が分からなかったからだ。まあ、こんな事が気になるのは、何を隠

  • 斉藤由貴さんとKMOとハドソンと(中)::Colorful Pieces of Game

    あらすじw 1987年、CD-iにウンザリしていた僕は、KMOで仕事をしていた知り合い編集SKさんの誘いに乗り、ハドソンでゲームを作らないかという話にダボハゼのようにいついた。 そしてハドソンにプレゼンを行い、首尾よくサイキョーRPGを作れそうになったところまではよかったが、うっかりCD-iの仕事をしていると話したことで、中さんにCD-ROMの話を根掘り葉掘り聞かれる羽目になり、エラい目に合ってしまう。 そんなわけでKMOの仕事を断りにくくなった僕に、メインプログラマがパンクしているので新しい88のサウンドルーチンを書いてくれ、との依頼が舞い込む。 首尾よく書き終わって渡して数日後、なぜかNECに一緒に来てくれ…ということになり… 以下、文。 田町にあるNEC社ビルはびっくりするほど大きくて、さすが天下のNECと呆れたのをよく覚えている。とは言っても、待ち合わせ場所に迷うことはな

    ukidousan
    ukidousan 2010/10/08
    ある意味ホラー
  • 1989年11月 - アフターカーニバル::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

  • 1989年9月 - どっちがヒロインなのよ?::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

  • 故・多摩豊氏の名誉のために批判する::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    ukidousan
    ukidousan 2010/06/11
    タイトルだけ見て関係ありそうで内容は関係ない本をアフィリエイト収入狙って貼っただけなんじゃ、と思いきやアフィリエイトIDがはまぞうのままだな、何だこれ。
  • オリジナルスタッフのイースの設定(ゲーム以前)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    ukidousan
    ukidousan 2010/04/13
    >つまりダームと女神は鏡の関係、ボスと神官も鏡の関係ということだ。
  • 1989年2月 - イースの許諾を取りに行く::Colorful Pieces of Game

    前回の話 この話は1988-89年頃、PCエンジン版のイースを作るとき、僕が経験した話を出来るだけ正確に記録に残すつもりで書いている。 ただし、これは 1)21年前の話で、記憶違いの可能性は十分にある。 2)僕が聞いた話で、伝聞情報もある。 だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。 さて、文。 イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。 1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、北海道のハドソン社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。 そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。 当時、僕はROMの容量の厳しさにウンザリして

    ukidousan
    ukidousan 2010/04/07
    重く圧し掛かるファザナドゥ
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