近代文学に関するukiyobluesのブックマーク (3)

  • 少女小説の100年史、ライトノベルとの関係

    ライトノベルに少女小説は含まれないのか?」という議論を見かけたのですが、ここでいう「少女小説」がちょっと気になりました。 「少女小説」は、"少女向けの小説"と理解されていると思うのですが、"少女向けの小説"は2000年代ぐらいから「少女向けライトノベル」と呼称されることが多く、若い読者には「少女小説」という呼称が通用しないなんて話も耳にします。「少女小説」を今風に「少女向けライトノベル」と言い換えると「ライトノベルに少女向けライトノベルは含まれないのか?」という話になってしまって命題として成立しません。 まあ、「少女小説」という呼称が用いられたのは主に戦前と1980年代〜1990年代なので、ここでいう「少女小説」はその1980年代〜1990年代のイメージ、つまり、氷室冴子や久美沙織が活躍した時代のコバルト文庫や花井愛子や折原みとに代表されるティーンズハートのイメージだと思うのですが、10

    少女小説の100年史、ライトノベルとの関係
  • 美男子と煙草 (太宰 治)

    津軽の大地主の六男として生まれる。共産主義運動から脱落して遺書のつもりで書いた第一創作集のタイトルは「晩年」(昭和11年)という。この時太宰は27歳だった。その後太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた数少ない作家の一人である。戦後「斜陽」(昭和22年)は大きな反響を呼び、若い読者をひきつけた。 「太宰治」

    美男子と煙草 (太宰 治)
    ukiyoblues
    ukiyoblues 2024/06/15
    この小説のこと、なぜだかずっと忘れられない
  • 日本文化私観 (坂口 安吾)

    小説家。名は炳五(へいご)。新潟市西大畑町に生まれる。幼稚園の頃より不登校になり、餓鬼大将として悪戯のかぎりを尽くす。1926(大正15)年、求道への憧れが強まり、東洋大学印度哲学科に入学するも、過酷な修行の末、悟りを放棄する。1930(昭和5)年、友人らと同人雑誌「言葉」を創刊、翌年6月に発表した「風博士」を牧野信一に絶賛され、文壇の注目を浴びる。その後、「紫大納言」(1939年)などの佳作を発表する一方、世評的には不遇の時代が続いたが、1946(昭和21)年、戦後の質を鋭く把握洞察した「堕落論」、「白痴」の発表により、一躍人気作家として表舞台に躍り出る。戦後世相を反映した小説やエッセイ、探偵小説歴史研究など、多彩な執筆活動を展開する一方、国税局と争ったり、競輪の不正事件を告発したりと、実生活でも世間の注目を浴び続けた。1955(昭和30)年2月17日、脳溢血により急死。享年48歳

    日本文化私観 (坂口 安吾)
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