1986年、日本の中曽根康弘内閣は2カ月後の衆議院議員総選挙を控え、政府によるコメの買い上げ価格を引き上げた。与党自民党の大票田である農村からの支持を高めるためだった。当時、首相の諮問機関であった臨時行政改革推進審議会の会長を務めていた土光敏夫氏(故人)は「赤字財政を何とかしようと取り組んでいるのに、一体どういうことだ」と憤り、辞表を提出した。これにより世論の批判も高まった。そこで中曽根元首相は土光会長の自宅を訪ね、狭い畳敷きの応接間で土光会長に向かって「どうか辞表だけは撤回してほしい」とひざまずいた。だが土光会長は、首相の頼みにためらうことなく苦言を呈したのだ。 ▲土光会長は東芝の会長を経て、1974年から6年間、日本の経済三団体の1つである経済団体連合会(現・日本経済団体連合会、経団連)の会長を務めた。在職中は「行動する経団連」をスローガンに掲げた。経済界が政界に対して物申していこう