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ジェンダーと日本語に関するumetenのブックマーク (11)

  • 日本語の一人称『俺』は差別的か?

    勇気 @worthmine 性暴力に対して「俺はやらないけどやるやついるぞ」という主張は、性暴力に対して無関係でいられない態度の表明にほかならないだろう。結局のところそれは、「実際に性暴力の被害が発生しても加害者の側に一定の理解を示す」ということを示唆している。結果的に弁護しているも同じ。 2011-06-21 01:51:40 いぬ @PerroChien といいますか「俺」という自称を用いた時点で既に性暴力では…。不均衡な性規範権力への迎合とその利用、及び利用することによる強化。 @Youth_Labo 性暴力に対して「俺はやらないけどやるやついるぞ」という主張は、性暴力に対して無関係でいられない態度の表明にほかならないだろう。 2011-06-21 14:10:54 いぬ @PerroChien 昨日、職場の男自認者が「最近の幼稚園は、園児たちをみんな、さん付けで呼ぶんだぜ。男の子も

    日本語の一人称『俺』は差別的か?
  • 夫を逆さまにすると¥になる。

    円の切れ目が縁の切れ目ってね。

    夫を逆さまにすると¥になる。
    umeten
    umeten 2010/03/15
    「婦」の方はもともと「女がホウキをもった姿」と言われておりましてな…/ちなみに日本仏教教団には「寺庭婦人」なる「役職」がございましてな…
  • http://homepage1.nifty.com/midnightsapporo/mas/masp/komata/komata.html

    小股が切れ上がる…芸者の場合 吉行淳之介の小説『技巧的生活』(新潮文庫)を読んでいたら、銀座の高級クラブの客油木が店のホステスたちに「小股が切れ上がる」という言葉の意味を教えている場面が載っていた。これはなかなかうがった意見で、感心させられた。油木は、「教えておいてあげよう。女が初めて芸者に出るとするな。せいぜい芸者らしく歩こうとして、歩くときには内輪に足を踏み出し、大股にならぬように歩く。そういうときには、やはり、わざとらしさがつき纏う。芸者としての修行が積んでくると、歩き方を意識しないでも、自然に足がうまい具合に出て、女らしくそのくせ垢抜けしたきりりとした感じに歩けるようになる。それを、小股が切れ上がる、と言うわけだ。つまり、切れ上がるとは、卒業するというような意味だな」と説明する。この解釈は初めて聞いた。これは吉行淳之介の創作だろうか。それとも、かなり「小股が切れ上がる」という言葉の

  • フリーセックスとは何ですか?現代でもそのような風潮がある国はどこですか?また誰の子供か判らない子供を誰が育てるのですか? - 一個... - Yahoo!知恵袋

    フリーセックス(性別からの開放運動)とは、1960年代のアメリカで始まった、それまでの女性は貞淑で家に居るべきであるのような、厳格で古典的な「社会的性役割」の考え方を打破して、女性であることや、あるいは男性であることを理由に社会的な役割を強制されたり規制されることへの反発である。 ジェンダーフリーと言ったほうが誤解が少ないかもしれない。社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、人それぞれの個性や資質に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。 決して乱交のことではありません、誤解の無いように。日人は馬鹿なのでフリーセックスと聞くとエッチなことをやりたい放題のことだと思い込んでいるようです。フリーセックスで検索してみて、あまりにも誤用と誤解が多く愕然としました。正しい記述がみつ

    フリーセックスとは何ですか?現代でもそのような風潮がある国はどこですか?また誰の子供か判らない子供を誰が育てるのですか? - 一個... - Yahoo!知恵袋
  • 「イケメン」検証はありがたい

    TBSのバラエティ番組「ご起源さん!」(2008.03.21 18:55)を見ました。ことばや物の起源を探る番組です。最初に、「イケメン」の語源は何かが取り上げられました。この部分では、私の電話インタビューも流れました。 番組の結論を要約します――『広辞苑』第6版で、この語は「いけ面」の表記で載り、「いけている」の略と「面」をあわせた俗語かと説かれる。しかし、「朝日新聞」2008.01.16でも取り上げられたように、この説は不十分である。そこで語源について調査を開始した。語の発祥について、ゲイ雑誌「バディ」からとの説があったが、編集部の証言で否定された。最終的には、ギャル雑誌「エッグ」(egg)の元編集者・矢野智子さんが初めて使ったとされ、人もインタビューで認めた。1999.01の誌面で「ねえ、ひろゆきクン、前回のイケメン見てどう思った?」とある。これは「クリクリ矢ぬの イケてるメンズ」

    「イケメン」検証はありがたい
  • ねことか肉球とか:『〈性〉と日本語』(2)

    「言語資源」の観点から日語をリソースとして捉え、翻訳小説・美少女ゲーム・スパムメール・ファッション雑誌等々における言語実践を分析し、日語に関わる言語イデオロギーを摘出する、という盛りだくさんな内容。 とても勉強になったのであとで再読しよう。 「言語資源」という用語は、専門用語で「言語イデオロギー」と呼ばれている概念が実際の言語行為に与えている二つの影響(資源と制限)のうち、言語行為の創造性をうながす資源としての側面を強調するために使ったものである。

    umeten
    umeten 2007/11/11
    >本書の内容からはやや離れるけれど、「オタク文化はなぜこんなにも性的なものと結びついている(ように見える)のか」 やっぱりそもそも関係性が薄いものだから、表象としての受容=需要が生まれるってとこかな。
  • 「男女の友情は可能か?」という問いに、「それはやおいだ」と答えてみる。:さかさまつげ

    「やおい」をごく大雑把に、「ホモソーシャリティのホモセクシャルへの読み替え」と定義してみる。 ホモソーシャリティはホモセクシャリティを排除することで成り立つから、やおいはホモソーシャルな集団にとって、排除した当のものを突きつけてくる存在、ということになる。やおいに必ずしもその意図があるとは言えないにしろ、やおいには、ホモソーシャル集団の排除したホモセクシャリティを顕在化させる(しかも、多くの場合は戯画化して…)一面も、確かに備わっている。やおいは、ホモソーシャル集団に属する男たちが触れずにいるものを、含み笑いと羨望のまなざしとともに指してみせる。 「メロディ」4月号のよしながふみ&羽海野チカ対談がおもしろい。見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合ってて、それでその人が当に困った時には手を貸してやる関係みたいなものを、やおいだと私らは呼んでいて、 と、よしながふみが言っているのを読ん

    umeten
    umeten 2007/03/31
    「友愛」と言う言葉ではだめなのか。あくまで根底に性を意識させながら、表層的には性を否定する言葉としての「やおい」が必要なのか。
  • ミーハー - Wikipedia

    ミーハーは、日語の俗語で、軽薄な、流行に左右されやすい世の中の風潮や人を意味する[1]。流行や話題となった人物・事物の動静に、もともと興味がなかったにもかかわらず、にわかに熱中する者(にわかファン)に対しての蔑称として用いられる。ひらがなでみいはあとも[2][3]。 みいちゃんはあちゃんの略[4][5][3](ミーちゃんハーちゃんとも[6])、はあちゃんみいちゃん[7]、みいはあ族[8]とも。 使われ始めた時期は定かでないが、1905年(明治38年)の読売新聞の記事中[7]や、1908年(明治41年)発表の渋川玄耳の随筆『閑耳目』に例が見られる[4]。もとは低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い若者を揶揄する呼称[4][6]で、特に若い女性のことを指していた[5]。 語源[編集] 文献によって諸説があり、発祥が「みいはあ」と「みいちゃんはあちゃん」どちらが先とするかで大きく説が異な

    umeten
    umeten 2006/12/08
    女性限定だったとわ…… >ミーハーとは、低俗な事に夢中になる軽薄な女性にたいしての蔑称。
  • おぱんぽんとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    男性器に対する『おちんちん』という一般的に用いられる呼称があるにもかかわらず、女性器に対する名称が無いのは不公平だということで、教育委員会(埼玉県という説あり)が新呼称を創出するため一般公募を行った。その結果を踏まえて正式に提唱された『女性器に対する一般的呼称』が『おぱんぽん』である。 このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

    おぱんぽんとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな
    umeten
    umeten 2006/10/12
    そんなの微妙すぎー。
  • 罵倒語としての「ホモソーシャル」 - さかさまつげ

    「これが日のホモソーシャル」と題したエッセイ(「群像」5月号)で松浦理英子が、「SPA!」'06年1/24号に掲載された福田和也・坪内祐三の対談であからさまになったご両人の「ホモソーシャル性」を徹底的にやっつけている。 この対談、僕は読んでいないのだけれど、松浦が引用してみせる箇所、たとえば「福田 でも、映画って男同士の方が面白いんだよね。/坪内 そうなんだよ。男2人で映画見に行くのって面白いんだよ、その後の会話とか」だの、某氏が「タイに若い男の子を買いにいってるらしい」だの、?あの人は「ダンナ」がいるから「普通の女の人じゃないかね」?といった断片を読むだに、推して知るべし、という言葉がしっくりくる。ご両人が一見同性愛を擁護するかのような物言いをしてみせつつ、実態は文化水準の低い閉鎖的な共同体でマジョリティに属する者たちが寄り集まって、別のグループの人々について「あいつ、ホモなんだぞ」「

  • 変態とは サイエンスの人気・最新記事を集めました - はてな

    人間というのは技術を使うことで不可能を可能にしてきました。 電気、水道、インターネット、鉄道と例を挙げればきりがありません。 それは漫画やアニメの表現方法も同じだと思います。 今の漫画の原型は手塚治虫先生が作ったものをベースにしているものがほとんどです。 当時はコマで動きを示すという表現技法が画期的だったのです。 さて私をヒナギクに虜にさせられてしまったこのスカートめくり理論。 性癖をゆがませられるほどインパクトがやばかったのですが、 この理論、俺は七咲水着理論と呼んでいます。 この変態技術のポイントは、恥ずかしがらずにスカートをめくること。 ここが核なのです。恥ずかしくめくるのもそれはそれで…

    変態とは サイエンスの人気・最新記事を集めました - はてな
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