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哲学と少子化に関するumetenのブックマーク (2)

  • 私の反出生主義について - 思考の断片

    私は次の態度を取ることにおいて反出生主義者である。 ・子供が生まれることは、生まれないことに比べて(子供自身にとってではなく)道徳的に悪い しかも、この態度は、私が下の記事で定義した(私自身の)エピクロス主義の延長なのである。 エピクロス主義者の願望はいかなる意味で生存に条件づけられているか。私の場合は。 - Silentterroristの日記 この記事では、この反出生主義がどのようにエピクロス主義の延長として帰結するか、そして私の反出生主義の内容の一部について述べたい。 まず、道徳は一般に、将来の自分に対する思慮の延長であることを説明する。 これは、将来の自分は、他人もより近いものの、(今の)自分にとっての他者であることに変わらず、他人と(今の)自分の中間に位置する存在だからである。 他者とは、自分と同様に経験が展開される場であり、しかも自分は、その他者という場も他者の経験も、決して経

    私の反出生主義について - 思考の断片
  • 「将来世代を産出する義務はあるか」という論文を書きました - kanjinaiのブログ

    大阪府立大を拠点に、「生命の哲学」プロジェクトを進めている。その成果の一端は、先日の応用哲学会のワークショップ「生命の哲学の可能性を考える」でも発表した。2008年から、年に1のペースで、「生命の哲学」の共著論文を刊行しているが、その第2回が出たので、紹介する。 森岡正博・吉陵「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」 http://www.lifestudies.org/jp/philosophylife02.htm 哲学者のハンス・ヨーナスは、環境倫理学の基盤として、将来世代への責任を提唱した。しかし、そもそも将来世代は将来に存在しないといけないのだろうか。我々は、将来世代を産出する義務を負っているのだろうか。これが論文のテーマである。前半では、ヨーナスに沿って考えたときにどうなるのかを検討した。後半では、ヨーナスを離れて、そもそもわれわれはそのような義務

    「将来世代を産出する義務はあるか」という論文を書きました - kanjinaiのブログ
    umeten
    umeten 2009/05/07
    >ここでは地球人類レベルで考えている/いまは国レベルの議論はとりあえず想定されていない  さしあたり国家レベルに限定しないと極論としか読まれないような印象
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