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文化とコメントに関するumetenのブックマーク (4)

  • id:umetenさんへのお返事 - ohnosakiko’s blog

    ※5/8、若干の加筆があります。 混乱の二重奏【書評】『アーティスト症候群』【広告】その1 - こころ世代のテンノーゲーム 混乱の二重奏【書評】『アーティスト症候群』【広告】その2 - こころ世代のテンノーゲーム をお送りしてからの10日近く、「いつ書評が出るんだろー。速水さんのを酷評してたからあのレベルは覚悟せねば」と毎日頻繁にumetenさんのとこを見てました。ということをご存知故かどうか知りませんが、トラックバックくらい送って下さい。 で、これまでネットでも紙媒体でも、共感、賛同、反発、批判を含めてさまざまな感想、書評を目にしてきましたが、手厳しい評ながらもっとも書の根幹のところに目を向けようとしている文章だと感じました。 真摯に受け止めて頂き、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。 ただ根幹に言及しようすることでかえって、umetenさん自身が「アートとは何か」と

    id:umetenさんへのお返事 - ohnosakiko’s blog
    umeten
    umeten 2008/05/10
    ご丁寧にありがとうございます。僕にとっては読みやすいようで読みにくい本でした。
  • 「エリート」信者という、優越感ゲームのプレイヤー - umeten's blog

    ARTIFACT@ハテナ系 - 優越感ゲームのプレイヤーを考えてみるの話だ。 ネット上で話題になっている議論*1を興味持って読んでいるんだけど、その議論には参加したくない人というのはウォッチャーだ。 で、そのウォッチャーの中に議論に参加している人たちを嘲笑するような視点で、ネット上で言及する人というのをよく見かけるのだが、これがメタ化による優越感ゲームのプレイヤーなのだろうか。言及しないと気が済まない人たち。関西でいう「いっちょかみ」とでもいうか ひどい人になると、かなりの意見を表明しているのに、自分は議論に参加していないという立場を崩さない人もいる。それ十分参加してるのに…。「○○には興味ないんだけど」といって、長々と意見書く人もこれかな。 それらに通低する態度とは、「権威としての教養」を心の底では崇拝しつつも、それを表に現すのは、自らの住まう世界とははるか離れた「異界のエリート」を通し

    「エリート」信者という、優越感ゲームのプレイヤー - umeten's blog
    umeten
    umeten 2008/02/10
    発掘3 あーこれこれ探してたのはこれだ  >異界に住まう「エリート」に対する礼賛とはまったく反対に、自らの身近に存在する教養を持つ者=文化エリート=草の根エリートを、根底からことごとく否定しようとする
  • 「エリート」という異界の存在〜「愚民」論を超えて〜 - umeten's blog

    どうしても陥りがちなこの罠をいかにすれば回避できるのかと考えた。 「この国が持たんときが来ているのだ!なぜ分からん!!」というのは簡単だが、ぼこすか隕石を降らしたところで、肝心の敵はいつも逃げ切り、内紛で自滅するまで生き延びる。 そして、その間にばたばたと死んでいくのは、その周りにいる大勢の……「大衆」。 ――誰がそのうちに入っていないともいえないのが、この「大衆」だ。 その「大衆」たるが有権者が、自らが考えた以上の結果を出してしまったことは、ひとつには、小選挙区制という罠のなしえた業であるといえよう。 ――まれに見る政策選挙であったにもかかわらず、その政策のうち生かされたのはたった一つ、という、あまりにも効率の悪いこの選挙制度が、まずは「愚民」に代わって責めを負うべきだろう。 ……とすると、もちろん「この選挙制度を決めたのは誰か」という疑問が発生し、その責任は自民党及び公明党にあることと

    「エリート」という異界の存在〜「愚民」論を超えて〜 - umeten's blog
  • 「生きづらさ」の正体〜「世間」という名の「神聖支配」〜 - umeten's blog

    ささやかな思考の足跡: 生きづらさと自分の価値と この「生きづらさ」の根源は、 個によって成り立つ「社会」というものがこの国には存在せず、 はじめからありてあるものとしての「世間」のみが存在し、 そして、その「世間」を牛耳っているのが、「お上」の名で無謬的に崇拝される世襲の支配層――この世ならざる「異界」のエリートである…… ということなのではないのだろうか。 この国にある「世間」の下では、「浮世の下々」と「異界のエリート」とは決して肌を触れ合わせることなく、しかして、その「お上」による「神聖なる支配」は何人たりとも異論をさしはさむ余地のないものとして「盲目的に信仰」されている…… 「個人に目覚めることそのものが、この国で生きることへの苦痛の根源である」という事実は、反権威・反権力の姿勢をも「非政治性という保守性」へ転化するまでの強制力を持ちえるまでに至っている…… そして、その強制力は、

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