「また障害ネタね、うんざり。」 「正論を突きつけ健常者が悪者にされるのは不愉快。」 その様な非難を受けて、とてつもなく悲しくなるのだけど、 その気持ちもいくらか分かるのです。 私も米国で生まれて初めて人権教育というものを、がっつんがっつん やられ、今でこそ非常に感謝しているものの、初めの頃はあまりの衝撃に、 なんとなく後ろめたさの様なものを感じました。 自ら知らぬ間に抱いていた偏見や差別が露になりますからね。 先のエントリーに娘を守る為に誰かを心苦しい思いにさせたくない、と 書いたのですが、意図的に他者に罪悪感を抱かせる、というのは 自分的にはいやだなあ、と思うんです。 誰も責めたくないんですよ。 うんざりとも思われたくないですよ。 しかし、当時者にしてみれば、そのうんざりは、常時、一生、 向かい合わねばならぬものなんですよね。 一時の不快感とは比較にならぬ困難や不自由が、絶えず存在する