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ブックマーク / qune.jp (2)

  • なぜ,某大手 IT 系商社で働くと技術職でも3ヶ月で経営を語り始めるのか?

    技術的な話よりも経営の話の方が身近(技術ネタをこしらえる土壌がない)。 派閥やグループのような「見えやすいモノ」が経営ネタと直結している。 そもそも経営ネタは床屋談義にしやすい。 床屋談義が許される場ってのは,実は下部組織の人間を動員するのに利用されることがある。目安箱的なガス抜きの場を提供することで,集団への帰属意識が醸成されるんでねいか,と。事実,あたしが知っている人はいくら大上段に経営を語っていても,ちっとも偉くならない。それだけ語れるなら,それなりの地位にいてもいいはずなのに。「経営を語れる」という環境はかなり強力なようで,そんな環境でも彼は自らの職務上の地位について疑いを持っていない(ように見える)。某社の人を見ていると,みんな社長さんや常務さんのような語り口なんだけれども,実際,社長はひとりだし,常務も社の中で極限られた人間だろう。このギャップが見えないのだろうか。「志村ぁー!

    umeten
    umeten 2009/03/22
    「不満共有型コミュニティ」>床屋談義が許される場ってのは,実は下部組織の人間を動員するのに利用されることがある。目安箱的なガス抜きの場を提供することで,集団への帰属意識が醸成されるんでねいか,と
  • オタクの実存と「萌え」の話

    『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』をつらつらと読了。半年くらい前に「qune: 箱男のリアリティに見る透明な視線」というエントリを書いたんですけれど,ササキバラ氏にいわゆる「透明な視線」は,やはり『箱男』的なモチーフがあったんだと確認しました。個人的には勘があたって嬉しいんですけれど,半年前にエントリを読んだ方は,「何を今さら」な感想があったかも……。 一応,該当箇所を引用しておきます。 自分が他人から「見られない」ということは、自分が「透明な存在」になっていくことにほかなりません。 見るという自意識は存在しても、他人からは見られない。そういうとき、たとえば安部公房の「箱男」という小説のことが思い出されます。 (snip) まんがの中では,八〇年代以降のエロまんがに、そのような感覚が明確に表われています。これらの作品には、多くの美少女が登場し、性行為のシーンも頻繁に描かれます

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