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ブックマーク / www.alpha-net.ne.jp (5)

  • 死刑の現状

    参考文献・・・ 『死刑廃止論 第六版』(有斐閣/団藤重光/2000) 『死刑の日史』(三一新書/佐藤友之/1994) 『死刑』(現代書館/前坂俊之/1991) 『世界のなかの日の死刑』(インパクト出版会/2002) 『戦後ニッポン犯罪史』(批評社/礫川全次/2000) 『朝日新聞』(2008年4月11日付/2008年4月11日付/2008年5月7日付/2008年5月10日付) / 『東京新聞』(2008年5月28日付) 参考にしなかったその他の関連書籍(ほんの一部)・・・ 死刑執行―隣りの殺人者〈1〉小学館文庫 / 死刑の理由新潮文庫 / 死刑執行人の苦悩角川文庫 / 死刑廃止を考える岩波ブックレット / 当の自分を生きたい―死刑... / 戦後死刑囚列伝宝島社文庫 関連・参考サイト・・・ 死刑廃止 info! RONの六法全書 on LI

  • 引き出しPC

  • 戦後の主な毒殺事件

    [ 事件 index / 無限回廊 top page ] 戦後の主な毒殺事件 毒物の「致死量」に関しては、参考文献によって異なっている場合があるため、私が調べた範囲で、「(最小値)〜(最大値)グラム(あるいはCC)」という表記にした。 小サイズの文字(この文自体の大きさの文字)で書かれた事件は毒殺未遂事件です。 国内における青酸による殺人事件第1号は、1935年(昭和10年)11月21日、東京市浅草区(現・東京都台東区/浅草区と下谷区が統合して台東区となる)で発生した「小学校校長殺人事件」である。この日は学校職員の給料日だったが、浅草柳北小学校校長の増子菊善(46歳)は、浅草区役所で、職員49人分の給料3353円33銭を受け取り、風呂敷包みに包んで内ポケットにしまった。区役所にいるとき、足袋屋の若主人の鵜野洲武義(うのすたけよし/当時27歳)という男から電話で呼び出され、雷門向かい

    umeten
    umeten 2009/09/26
    青酸なんかどこで手に入れるんだろう・・・
  • 同窓会大量殺人未遂事件

    [ 事件 index / 無限回廊 top page ] 同窓会大量殺人未遂事件 1991年(平成3年)1月2日午後5時、佐賀県佐賀市の旅館で同窓会が開かれた。同窓生40数人、恩師5人が参加。地元中学の卒業生が12年ぶりに再会した。同窓生は昔話に花を咲かせ、酒も進み、盛り上がった。 しかし、ひとつだけ気になる点があった。不思議なことにその宴会場には、自ら幹事を申し出た赤沢俊一(仮名/当時27歳)の姿がなかった。この欠席については「会社の用事で急に来られなくなった」と聞き、「来られなくて残念だったね」とみんなで言っていたくらいで、誰も不審に思う者はいなかった。 翌3日、同窓会の出席者は新聞の社会面を大きく飾った見出しに愕然とする。 「同窓会大量殺人計画!?」 ヒ素入りビールと爆弾・・・ この事件の犯人こそ同窓会を企画した赤沢だった。 事件が発覚したのは赤沢の母親からの通報だっ

  • 少年ライフル魔事件

    [ 事件 index / 無限回廊 top page ] 少年ライフル魔事件 1947年(昭和22年)4月15日、片桐操は東京都世田谷区に4人兄弟の末っ子として生まれた。子どもの頃から銃器に興味をもち、ミリタリー雑誌『丸』(潮書房)を愛読し、オモチャのピストルなどを振り回して遊んでいた。 中学に入ると、アメリカの銃砲年鑑『シューターズ・バイブル』や『ガン・ダイジェスト』なども原書で購入して辞書を引きながら銃の性能調べに熱中して読み漁って、銃器について詳しくなり、モデルガンを作ったりしていた。中学3年生のとき、父親は4500円するオモチャの銃を買い与えた。学校での成績は中以下で目立たない生徒だった。この頃、母親が亡くなっており、老いた父親と義母の3人で暮らしていた。兄夫婦は別棟で塗装業を営み、7歳年上の長姉は旅館の住み込み従業員、次姉は結婚していた。 1962年(昭和37年)、中学を

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