正宗白鳥や三島由紀夫が深沢七郎を絶賛していることは知っていた. 「楢山節考」が土俗的な味わいを持っていることも理解できた。だが、「楢山節考」が「人生永遠の書として心読すべきもの」(正宗白鳥)と激賞するほどの作品なのか疑問だったし、その土俗的な作家が妙に派手なハワイアン風のシャツなどを着こんでギターを弾いたり、自分の畑に「ラブミー農場」という気取った名前を付けたりするところが腑に落ちなかった。 そのうちに深沢七郎は「風流夢譚」を書いて「渦中の人」となった。世間はこれ以後彼を「面妖な異人」と見るようになったが、私の深沢七郎を眺める目も、そうした世俗の立場から一歩も出ていなかったのである。それでも、彼の本を古本屋で見かけたりすると、何冊か買い込んでいた。けれども、それらの本は買ったきりで読むことはなかった。今日まで、彼の作品で私の読んだものは、「楢山節考」だけだったのだ。 十日ほど前に、「耕治人