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ブックマーク / takutchan.hatenablog.com (7)

  • 『治りませんように』(斎藤道雄著、みすず書房) - 障害・介助・外傷

    治りませんように――べてるの家のいま 作者: 斉藤道雄出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2010/02/18メディア: 単行購入: 10人 クリック: 105回この商品を含むブログ (27件) を見る はるか北の果て、北海道の襟裳岬に近い浦河という過疎の町にある「べてるの家」のことは以前から知っていた。その関連のも何冊か出ており、書店で眺めてはそのうち読もうと思い、知り合いも折にふれてべてるの家のことをぼくに話してくれたが、これまでは、あえて少し距離をおき、その関連のも読もうとはしなかった。 「べてるの家」というのは、統合失調症アルコール依存症、人格障害などさまざまな病気や障害、生きづらさを抱えた人々が寄り添い集まったゆるやかな共同体の総称だ。北海道の辺境の地で、きわめてユニークで独自な実践をしてきたために、10年ほど前からだろうか、一般的に広く知られるようになった。今では、

    『治りませんように』(斎藤道雄著、みすず書房) - 障害・介助・外傷
  • 「健全者問題論」 - 障害・介助・外傷

    昨日大阪集会がおわった。 全部で60名ほど。 かなり密度の濃い集会だった。 こうして、介助者たちが自分たちの立場から自分たちの経歴や気持ちや思いを語るということ。 それは、この社会の中で一人の人として生きていくという意志を示す上で、とても重要なことだと思う。 そういう作業なくして、障害者問題を健全者問題として受け止めていくことはできないのではないだろうか? ぼくはなにも障害者抜きに、介助者たちだけが集まってどうこうするということに意義を見出しているわけではない。 また、しばし誤解されるが、介助者の「労働者」としての権利主張を強調することに主眼があるわけではない。 やはり、「労働」以前の、人の自由とか生存・生活などにこだわっていきたい。 そうしたところから、人や社会を見ていきたい。 介助を社会的労働として位置付けること、それを公的介護保障運動はやってきたわけだし、そこにはとても大きな意味があ

    「健全者問題論」 - 障害・介助・外傷
  • 『責任という虚構』 - 障害・介助・外傷

    責任という虚構 作者: 小坂井敏晶出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2008/08/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 234回この商品を含むブログ (32件) を見る 『責任という虚構』(小坂井敏晶 2008年東京大学出版会) 人間は主体的存在であり、自分のことは自分で決めて行動する。また自分で考えて自分で行動するからこそ、自分がやってしまったことについては自分で責任をとらないといけない。自分で責任をとってやっていかいないといけない。まぁ、それが一般に近代的な人間像であり、障害者の自立生活運動でもよしとされる人間像だ。障害者が自分で決めないと、自分で考えろよ、自分で決めてくれよ、とまわりからつっこまれることも、しばしば見かける光景だ。 ある人から聞いた話では、先日とある由緒ある障害者団体の総会で、70年代から自立生活をしているが結局「自己決定が何だかわからない」、と

    『責任という虚構』 - 障害・介助・外傷
  • 施設的なもの - 障害・介助・外傷

    昨日、おとついと、かなり疲れていたので、気持ちの赴くままに文章を書いてしまっている。 かなり激しい口調できわめて批判的だけど、もちろん相手側(施設側)の言い分もあろう。 ただ、施設内で行われていることは、やはりぼくが地域で見慣れている光景とあまりにもギャップが大きい。 施設内が密室であることは変わりないので、やはり理不尽な点は多い。 成年後見人。 普通、身体障害者に成年後見人がつくことはないと言われている。 けど、なぜか施設を出て自立しようとしているある重度障害者には、家族が成年後見人としてついてしまった。 補佐でも補助でもなく、後見。(よく知らないけど、選挙権もはく奪されるらしい) 重度の言語障害が理由だという。 確かに言語障害(構音障害)はきわめて重く、普通に耳ではほとんど聞き取れない。 ただ、ぼくが必死で透明文字盤を使ってその人の言葉を読み取っているにもかかわらず、その透明文字盤を指

    施設的なもの - 障害・介助・外傷
    umeten
    umeten 2009/05/19
    「医者=治療」という枠組み自体が、そもそも支配的な「施設」。その理解なしにこれらを区分することは出来ない。
  • 「社会人としての常識」 - 障害・介助・外傷

    昨晩は、昨日も書いたとおり、ある知的障害者と大もめ。 怒声をかなり浴びたため、あまり寝つけず5時前に目が覚める。 今日は、朝早くから、とある施設入所者のガイヘル。神戸に日帰り旅行。 ただの日帰り旅行だが、施設とこれも大もめ。 これを許可するだけでも、施設側はかなりしぶり、しかもこちらがそれなりに譲歩すると、優越感たっぷりに、外出させてあげているんですよ、感謝してほしいわよ、これからは私たちの言うことをちゃんと聞くのよ、って感じの、対応。 われわれアテンダントが施設のいいなりにならないと、ぶち切れするタイプの人々。 いうまでもなく、人が施設の意向に従わなければ、指導、しつけの応酬。 ちょっと施設の言うなりになってあげると、あげくのはてになんというと、若い20代くらいの施設職員が50代の大人の障害者に向かって、 「ようやくKさんも社会人としての常識が身についてきましたね」と。 これは実は施設

    「社会人としての常識」 - 障害・介助・外傷
    umeten
    umeten 2009/05/17
    障害者施設という「スタンフォード監獄実験」。あるいは、「お上」化する日本人。
  • 「介助なんて、つまんない仕事だよ」 - 障害・介助・外傷

    「介助なんて、つまんない仕事だよ」 少々誤解を招く表現ですが、イデオロギー暴露の言葉として聞いてね。 と前置きしつつ、 最近ちょっと疲れ気味。 エンプティがつぶれた後遺症かな。 最近の仕事。 ピープルファーストの活動が、かなりぎっしり、密度濃い。 それから、障害者の入院時介護制度の要望準備。けっこうみんな苦労してて、病院内で一人死にかけたこともあったもんだから、かなり入念にやっている。障害者自身の体当たり的迫力が感じられないのが、ちょっと気がかりなのだが。。。 あとは、ふーむ。なんだろう。 明日は大行動の厚労省交渉に参加。早起きして東京へ。 まぁ、その他、何かと年度末になり忙しさ、切迫感、疲労感を感じる。 それで、表題の件にもどるけど、 さっきたまたま赤木智弘さんのブログを見ていたら、こんな文章に出会い、久しぶりに「介助労働」というものについて考えた。介助には言及してないけど、メンタリティ

    「介助なんて、つまんない仕事だよ」 - 障害・介助・外傷
    umeten
    umeten 2009/05/07
    >「逆に言えば、生活が苦しいからこそ、生き甲斐にすがろうとしていたのかもしれません。」   「やりがいの搾取」という問題。あるいは、「自己実現の罠」
  • 所得保障が十分だと働かなくなるのか? - 障害・介助・外傷

    22日(日)のシンポでコーディネーターを務めていたのだけど、パネリストへのこんな質問があった。 「やっぱり所得保障が十分だと、働かなくなると思う。労働力の確保はどうしたらいいのでしょう?」 これはいわゆる「労働インセンティブ」の問題だけど、この質問を質問表から読み上げたあと、なんかちょっと違うなぁ、と感じていた。 パネリストは、それぞれなりにきちんと答えていたけど、実は、当日の体調のせいもあり、回答がほとんど記憶に残っていない。 「ベーシックインカムが導入されると介助者がいなくなる」という議論もあり、それについてもちらっとふれられていたが、ただ青い芝の片岡さんは、わりと確信をもってベーシックインカムが導入されれば介助者は増えると思う、と述べていた。 片岡さんがそう言うところの根っこには、人間への基的信頼というものがある気がした。 ぼくとしては、さきの「労働力の確保」質問のあと、こんなこと

    所得保障が十分だと働かなくなるのか? - 障害・介助・外傷
    umeten
    umeten 2009/02/24
    >そして「働くこと」から「労働市場」を捨象した後に残る「働くこと」の核心、そこに人間の社会活動にとっての何か重要なものがあると思うのだが  日本じゃあ、奴隷道徳にしかならんのですよ。そんなもんは 
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