「ICO」や「ワンダと巨像」には、あらすじ的な意味でストーリーと呼べるものがほとんどありません。でもこの二つのゲームは、その単純さにしては驚くほど深く感情に訴える力をもっているように思います。これはなぜだろう。なんとなくだけど、良質なファンタジーがもつ作用に一脈通じるものがあるんじゃないか。という話です。 ル=グウィンは「夜の言葉」の中で、「ファンタジーにおいては文体が(あらすじ的なストーリーよりも)根源的な重要性をもつ」といった意味のことを述べています。もしこれをゲームの話に置き替えるとしたら、いわゆるシナリオよりも作品世界を表現するディテールのほうが(ファンタジー的な)ゲームにとって大切である、ということになるでしょうか。もちろん、単に映像がリアルならよいというわけではなく、肝心なのはその世界にふさわしい表現であるかどうかでしょう。 ル=グウィンの言う通り、指輪物語やゲド戦記やダンセイ