ぼく自身の、プーチンに対する評価が最も高かったのは2001年頃だ。 理由は主に二つある。一つは、チェチェン人たちの間に、武士道に近い「自らの敵を敬う」という文化があり、彼らの態度に影響されたこと。彼は彼の、おそらく私たちとは全く異なったモラル体系の中で、つまり、КГБという自由世界とは正反対の場所にある職場環境の中で培った自らの信念に基づいて仕事をしているのではないかと想像していた。 もう一つは、2000年に大統領選挙に初当選したばかりの頃のプーチンが口にしていた言葉が、「民主主義とは、法による独裁である」というもので、即ち、法の支配をロシアにもたらそうという努力をしているようすが見えたこと。 法の支配については、次第に、プーチン自身に本当はそんな意志が全くなかったであろうことが明らかになっていった。それを暴いたのは、ネムツォフであり、ナワリヌィだった。 プーチンは身内をして陽に陰に蓄財さ