ブックマーク / ichikawataiga.com (2)

  • 『イデオンという伝説』をデザインした男」樋口雄一氏 インタビュー 後編

    前回はこちら「「『イデオンという伝説』をデザインした男」樋口雄一氏 インタビュー 前編」 メカデザインという名前のビジネス ――『ガンダム』ブームで初めて「メカデザイン」という仕事にスポットが当たったと思います。けれどあの時代はまだロボットのデザインとアニメと玩具の関係が、作品単位、企業単位で多種多様であったため、いわゆる「メカデザイナー」でも、個々に職域が異なっていたとは感じています。 樋口 大河原(邦男)さんの『ヤッターマン』(1977年)とか、『ヤットデタマン』(1981年)の、サブメカ、ヤラレメカなどはサブマリンで手伝っているんですよ。 ――「今週のびっくりどっきりメカ」というメカですね。 樋口 そうそう(笑) 大河原さんとはいろいろ重なってて、影に隠れては、いろいろ仕事をやらせてもらってたんですよ(笑) あと、『勇者シリーズ』(1990年から始まった、サンライズ制作、タカラスポン

    『イデオンという伝説』をデザインした男」樋口雄一氏 インタビュー 後編
    underhill
    underhill 2022/02/27
  • 出渕裕ロングインタビュー10 出渕裕と安彦良和と『機動戦士ガンダムORIGIN』と

    前回は「出渕裕ロングインタビュー9 出渕裕と「富野由悠季の娘」と「うわべのパブリック」と」 出渕 そういえば話が変わるんですが、安彦さんと富野さんが、決定的に(袂を別つことに)なった原因って、なんだか知ってます? ――いえ、知りません。両者の間で何があったんですか? 出渕 『クラッシャージョウ』なんですよ。『クラッシャージョウ』やってるときに、安彦さん同時に『巨神ゴーグ』(放映は制作完了後の1984年)やってましたよね。『クラッシャージョウ』のプレミア試写会みたいなのがあって、僕も行ったんですけど、なぜかね、入り口のところでお客さんをお迎えしているのが何故か富野さんなんですよ。 ――普通であれば、当然監督の安彦さんか、原作と脚の高千穂遙さんですよね、そこは。 出渕 普通はね。でも安彦さんいないんですよ。で、その最中安彦さんが何をやってたかと言うと、近くの喫茶店で『巨神ゴーグ』のシナリオの

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    underhill 2021/11/07
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