人生が競馬の比喩なんだ しかしうんと短い時間の枠の中だけに限定すれば、とても短い、たとえば自分の馬が走って、それから勝利を収めるほんの一瞬。 そこには何かがある。何かが起こるのがわかる。気持ちが高揚し、陶醉感に襲われる。 馬たちが自分の言いつけどおりにしてくれる時、人生はほとんど会得されうるものとなる。 チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』 競馬場から群衆の姿が消えてしばらく経つ。 それでも騎手は鞭を振るい、馬は走る。 そこにはいないだれかの馬券が当たり、外れ、外れる。 寺山修司の有名な言葉に、「競馬が人生の比喩なのではない、人生が競馬の比喩なのだ」というようなものがある。 それはそれで競馬者にとってすばらしい言葉のように思えるが、実際のところ寺山は前者の主体がレースにあり、後者の主体が人生である、ということを言いたかったと記憶する。 人生が主語であることがすばらしいと。 して