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2012年9月3日のブックマーク (2件)

  • その2 縄文時代、26万人でピークに

    列島が、初めての大きな人口減少期を迎えた縄文期は、こんな時代だった。 「紀元前2300年のころ、日には26万人が住んでいたと言われています。原始時代としては高度な狩猟採集経済を営み、限りある空間を最大限に利用していたと考えられています」 住居跡などから割り出してみると、日の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。ところが縄文時代も晩期に入ると、その人口が一気に減少する。それも26万人の人口が、8万人にまで落ちてしまう急激な減少だった。 原因は、気候変動で気温が下がり、料供給量が激減したこと。クルミ、ナラ、トチの実……貴重な料であったナッツ類が気温低下の影響を受けて激減してしまう。そして料の供給量に合わせるように、人口はみるみる減っていった。 「この時代は、ほかに火山の噴火などの自然災害が、一瞬、大きく人口を減らしたこともあった。ただしこれは、地域的なものであ

  • 鎌倉時代の武士の身長、体格は平均的にどれくらいだったのでしょうか - 鎌倉時代の直前の源平合戦の頃を見てみましょう。源義経は... - Yahoo!知恵袋

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212427362 鎌倉時代の直前の源平合戦の頃を見てみましょう。 源義経は、確か身長が140センチ台半ばの背・反っ歯男だったはずです。 平泉に追われる最中の幕府の手配書にもそのように書かれていました。 しかも現存する義経の鎧もサイズが異様に小さく、背中の糸を緩めてあるので、多分事実のようです。 当時、彼くらいの身長であっても小男と思われていたフシがあったようです。 鎌倉時代末期では、楠正成が180センチ以上の身長だったそうです。 少なくともこの時代、小男というのはあまりいませんね。 これが戦国時代ぐらいになると、平均身長がまた160センチ前後になっていきます。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はみんな160センチ前後だったと思います。 江戸時代になると、平均身長はもっと低く

    鎌倉時代の武士の身長、体格は平均的にどれくらいだったのでしょうか - 鎌倉時代の直前の源平合戦の頃を見てみましょう。源義経は... - Yahoo!知恵袋