20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。 ■我が心の内側のささやかなテクノフォビア かつて、”冷蔵庫嫌悪(ブリゴリフォビア)”なるものが存在した。19世紀後半のパリでのこと。ブリゴリフォビアたちは青果市場に並んでいた野菜類が、人工的に冷やされて保存されたものだと知った途端に怒り出したのだ。当時の冷蔵庫はまだ電気式ですらない時代。でもそれはばりばり最新のテクノロジーだった。 20世紀における
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