2009年4月29日のブックマーク (11件)

  • 「ユリイカ」特集内容一覧 (1990~2000年代) - Tomotubby’s Travel Blog

    1990/01 フランス小説の新しい流れ 1990/02 90年代カルチュア・マップ 1990/03 サリンジャーをさがして② 1990/04 バルガス=リョサ 1990/04臨時増刊 ワールド・ミュージック 1990/05 オスカー・ワイルド③ 1990/06 レイモンド・カーヴァー 1990/07 開高健 1990/08 ベトナム戦争アメリカ 1990/09 アンディ・ウォーホル 1990/10 ラファエル前派 1990/11 スティーヴン・キング 1990/12 ゴッホ 1991/01 P・K・ディックの世界 1991/02 ミラン・クンデラ 1991/03 ケルト 1991/04 鈴木清順 1991/05 ソ連カルチュア・マップ 1991/06 セシル・ビートン 1991/07 ランボー③ 1991/08 の博物誌 1991/08臨時増刊 モーツァルト③ 1991/09 アーサ

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    urbansea
    urbansea 2009/04/29
    1995/04臨時増刊 悪趣味大全 1998/08臨時増刊 怪談〈Kwaidan〉  これは名著
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

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    urbansea
    urbansea 2009/04/29
    so romantic!
  • 革命的祖国敗北主義 - Wikipedia

    革命的祖国敗北主義(かくめいてきそこくはいぼくしゅぎ)とは、第一次世界大戦中のロシア帝国において、ボリシェヴィキのウラジーミル・レーニンがメンシェヴィキの「革命的祖国防衛主義」に対して主張した理論[1][2]。革命的敗戦主義あるいは敗戦革命論ともいう。 言葉は似ているが、共産主義者同盟をはじめとする日の新左翼が主張した革命的敗北主義とは別の概念である。 パリ・コミューン、ロシア革命、ドイツ革命の例に見られるように、「祖国の敗戦」という国難が革命勃発のきっかけとなっている。 これらの実例から、帝国主義下にある自国が対外戦争に参戦した場合、第二インターナショナルの社会民主主義者たちのように自国の勝利のために挙国一致で戦うのではなく(城内平和)、戦争への協力を拒否し、その混乱や弱体化に乗じて革命で政権を掌握させるべきとした(レーニンの敗戦革命論)。具体的には、反戦運動により厭戦気分を高揚させる

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    urbansea 2009/04/29
    言葉の出所がわからない。
  • Doblogからのブログ引っ越しサポートについて - はてなダイアリー日記

    NTTデータ様の提供する「Doblog」のサービス終了に当たり、はてなダイアリーでは以下の通りブログデータの引っ越しサポートを実施いたします。 はてなダイアリーは、Doblogと同じく無料で記事内に広告が表示されず、テキストが読みやすいシンプルなデザインが充実したブログサービスです。また、アップロード可能な画像の総容量も無制限。ぜひこの機会に、はてなダイアリーをご利用開始いただければと思います。 Doblogからのデータ引っ越しサポート概要 期間 2009年4月27日(月)〜2009年5月30日(土) 特典 有料オプションを1か月間無料でご利用いただけます 申込み方法 下記手順でブログ引っ越しを行っていただいた後、以前の「DoblogのURL(http://www.doblog.com/weblog/myblog/****)」と、今回新しく開設した「はてなダイアリーのURL(http://

    Doblogからのブログ引っ越しサポートについて - はてなダイアリー日記
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    urbansea 2009/04/29
    山一が潰れた後に、店舗の前で待ちかまえた野村の社員ってのを想い出した。親切ではある。
  • 山崎博昭 - Wikipedia

    高知県生まれ。大阪市立茨田中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1967年京都大学文学部に入学し、同年4月に革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に参加。高校時代は「大手前高校社研(社会研究会)」で活動したほか、中核派系の反戦高協大阪府委員会結成に参加している。デモや集会に度々参加し、砂川闘争にも加わっていた[1][2]。 1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)に参加。羽田空港への突入を図る学生らと機動隊が海老取川に架かる弁天橋で激しい攻防を展開し、機動隊から奪った警備車兼放水車を暴走させるなど学生が激しく機動隊を攻撃する中、警備車が通った後に倒れているのを発見された。すぐに機動隊員に救助されたが、死亡が確認された(享年18)。 山崎の訃報を聞いた父親は「バカなやつだ」と言って自宅に閉じ籠もり、母親も「東京まで行って確かめるまで何も申せません」と語って

    山崎博昭 - Wikipedia
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    urbansea 2009/04/29
    京都大 1967.10.08羽田闘争で死亡 山崎博昭君虐殺抗議中央追悼葬儀・愛国学生山崎博昭君追悼集会 革命運動といいつつ、ひとの命が重かった時期 「革命家のカテキズム」とは程遠い"闘争"
  • 革命的敗北主義 - Wikipedia

    「革命はいつか必ず成就する」というのが、新左翼の信念である。しかし、革命に至るには多くの闘争を経なければならない。そのため個々の闘争は妥協を許さず、かつての日軍の玉砕のように自己を犠牲にしてでも「革命的敗北」を貫徹しなければならないとする。これらの積み重ねによって、はじめて革命が成就するという考え方である。 ブント系党派で多く唱えられたことから、別名「ブント主義」ともいう。「捨石運動論」という別名もある。

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    urbansea 2009/04/29
    これこそ日本的な情緒 「アカシアの雨にうたれて」や~君葬儀集会などのセンチメンタリズム>>ブント系党派で多く唱えられたことから、別名「ブント主義」ともいう。「捨石運動論」という別名もある。
  • 椎名麟三

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    urbansea 2009/04/29
    椎名麟三の墓 富士市 味も素っ気もない荒涼感 >>彼を産み落とした三日後、母は鉄道自殺を試みた。誕生から悲しみを背負って歩き始めた彼の道程は重く、落ち続けることによってのみ生き延びているようであった。
  • 加入戦術 - Wikipedia

    新左翼によく見られる戦術で、自力での組織拡大が難しい場合、まず思想的近似性のある既成政党や政治団体に加入する。そして自党派の影響力を徐々に広げ、時期をみて、その組織そのものを乗っ取ったり、分派工作を行い新たな組織を結成する戦術を指す。 フランスのトロツキズム組織「フランス共産主義者同盟」が、フランス社会党に仕掛けたのが最初である。その後、世界各地のトロツキズム系党派が採用するようになった。そのため反トロツキズムの党派サイドからは「トロツキストならではの組織戦術」というイメージが強い。 独力での勢力拡張が難しい日の新左翼党派も、加入戦術を採用した。その際に最も標的とされたのは、日社会党だった。日社会党は、「反自民統一戦線党」の分権的な性格があり、党内で自由に異論を唱えられる余地が大きかったからである。日社会党所属の参議院議員であり、国鉄動力車労働組合(動労)副委員長だった目黒今朝次郎

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    urbansea 2009/04/29
    党ごと乗っ取る戦術 社会党所属の参議院議員であり、国鉄動力車労働組合副委員長だった目黒今朝次郎は、革マル派の活動家
  • 先制的内戦戦略 - Wikipedia

    先制的内戦戦略(せんせいてきないせんせんりゃく)とは、日の新左翼の一派である革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の1970年代以降の政治思想の一つで「現状の日は、いわゆる革命前夜の状況下にあり、革命の起爆剤として各種武装闘争を展開する」というものである。 1962年の分裂以来、中核派と革マル派は対立を続けていた。1970年8月、中核派活動家が革マル系学生をリンチ殺害するという事件を起こす(海老原事件)。この内ゲバ殺人について中核派指導部は沈黙し、革マル派は「同志海老原(被害者)の死に報いるには、殺人者集団ブクロ中核派のせん滅以外にはありえない」「彼らをひとり残さず殲滅し尽くす」と中核派せん滅宣言を出した。以後両者の間での暴力と殺人の応酬はエスカレートし、泥沼化した[注釈 1][1]。中核派は現状を「革命と反革命の内戦の時代」と規定して、「内乱的死闘の70年代」のスローガンを掲げて武

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    urbansea 2009/04/29
    中核派用語 三里塚・ゲリラ戦の理論的裏付け 90年天皇決戦でゲリラ疲れして…>>91年に「五月テーゼ」を発表し、当面は大衆闘争に重きを置くこととし、先制的内戦戦略を事実上先送りすることになった。
  • 足立区女性教諭殺害事件 - Wikipedia

    被害者である女性教諭I(当時29歳)は事件発生当時、足立区立中川小学校に勤めていたが、1978年5月3日に故郷の北海道で父親が死去した。8月15日、Iは当直当番であるにもかかわらず何ら連絡もないままに出勤しなかった。それまでIは無断で学校を休んだことなどなかったため、不審に思った校長はIの実家に電話したが、母親もIの所在を知らず捜索願を出した[1][2]。Iが最後に目撃されたのは前日の14日のことであり、Iの最後の目撃者は小学校で警備員をしていた男Wだった[1][2]。 警察も事件として捜査していたもののIを発見できずにいた。またIの失踪から10年後の1987年の大韓航空機爆破事件において、北朝鮮工作員の金賢姫の日語教師の「李恩恵」がIと似ていると特定失踪者問題調査会から指摘を受け、Iの家族は北朝鮮に拉致された日人を救出するための全国協議会に参加した。2003年には『特定失踪者リスト』

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    urbansea 2009/04/29
    78年、当時29歳の女性教師が失踪→87年、「李恩恵」が彼女に似ていると特定失踪者問題調査会から指摘→拉致被害者→04年、時効成立後に小学校で当時警備員の男が殺人を自首
  • クロスバイク購入への道〜その3〜 - 関内関外日記

    その1→http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090112#p1 その2→http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090114#p1 白昼妄想 翌日の昼休み、俺は俺の買った自転車を取りに行く。太陽は輝き、空は抜けるように青く、雲は白く、気温さえ無視すれば、夏のような日。平日の昼のみなとみらいは、休日のそれとは違う。老いたひとたちがそれぞれベンチに座ってやすんでいる。ピアノの生演奏が聞こえる。ああ、俺は死にに行くようだと思う。美術館の前を通る。噴水の絶え間ない音が、まるで刑場に向かう俺に向けた拍手のように感じる。俺は死にに行く。俺は自転車で死ぬ。車道で転んで死ぬ。そんな予感でいっぱいだった。太陽は輝き、空は抜けるように青く、雲は白く、俺は自転車で転んで死にに行く。 そんな運命を感じながら、俺の脳裡にはこんな言葉が浮かぶ。 <ジャイアント・

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    urbansea 2009/04/29
    「俺がゲームに対してうわのそらになればなるほど、俺の赤ヘル軍団はホームランを打ちまくった。前田が、江藤が、金本が。みるみる二桁得点になった。あのときの俺は、世界中の誰よりもワースタがうまかった。」