2010年1月5日のブックマーク (2件)

  • 虎ノ門事件 - Wikipedia

    1923年(大正12年)12月27日、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇、当時22歳)が摂政として第48通常議会の開院式に出席するため、貴族院へ向かうため御料車(自動車)に乗り、午前10時35分に皇居を発った[2]。 10時40分頃、皇太子の御召自動車は虎ノ門外(虎ノ門公園側)を通過中、芝区琴平町一番地西洋家具商あめりか屋前の群衆の中にいた難波大助が警戒線を突破して接近し、ステッキ仕込み式の散弾銃で狙撃した[2]。銃弾は皇太子には命中しなかったが、車の窓ガラスを破って同乗していた東宮侍従長・入江為守(入江相政の父)が軽傷を負った[2]。自動車はそのまま目的地の貴族院に到着[2]。その時点で周囲が初めて入江の出血に気づいた。 なお、皇太子は事件後側近に「空砲だと思った」と平然と語ったとされている。皇太子は貴族院での開院式を終えて赤坂区の東宮御所に戻り、内閣総理大臣山権兵衛・警視総監湯浅倉平や皇族

    虎ノ門事件 - Wikipedia
    urbansea
    urbansea 2010/01/05
    直後、難波は周囲の群衆によって袋叩きにされ、難波の身柄を確保しようとする巡査は身をもって難波に対する殴打を防がなければならなかった。
  • オレンジ共済組合事件 - Wikipedia

    オレンジ共済組合事件(オレンジきょうさいくみあいじけん)とは、友部達夫元参議院議員(旧新進党所属)の政治団体が運営していた共済団体が起こした詐欺事件。友部は逮捕され、裁判の結果懲役10年の実刑判決が確定して失職した。 オレンジ共済組合の看板と事務所跡(姫路市) 概要[編集] 1992年よりオレンジ共済組合は、「オレンジスーパー定期」という年6 - 7%もの配当を謳った商品を出し、約93億円(うち約63億円は選挙当選後に集めている)もの資金を集めた。しかし、資金の多くが友部の選挙費用や政界工作費(約6億円)、借金返済や遊興費(行きつけの自宅近所のスナックに月に数十万円使っていたという)、あるいは組合専務理事だった・次男らに私的に流用された[注 1]。典型的な自転車操業型の投資詐欺(ポンジ・スキーム)であった。 その結果、事件の発覚した1996年に同組合は倒産し、組合員にほとんど金は支払われ

    オレンジ共済組合事件 - Wikipedia
    urbansea
    urbansea 2010/01/05
    友部達夫 比例順位を金で買う。逮捕後、1億円近くの歳費を受けとる(債権者に差し押さえられる)