2011年3月7日のブックマーク (7件)

  • white-screen.jp:タナカカツキ 新春のつぶやき 第4回

    タナカカツキ:1966年大阪生まれ。1985年にマンガ家としてデビューしてから、映像、デザイン、はたまたインターネットラジオ「デジオ」の仕掛人といろいろな顔を持つ。著書には「バカドリル」、「オッス!トン子ちゃん」、 映像作品として「SUNDAY」、「タナカカツキのタナカタナ夫DVD」、「virtual drug ALTOVISION」など。 恒例となったこのシリーズも2011年で早4回目を迎える。365日、1年って早いものですね。10年代に突入した第3回では「定点カメラの快感」について語っていただいた。まだまだ寒さが厳しい1月某日、目黒某所にて人口滝を眺めながらタナカカツキに起こった2010年の出来事や2011年の抱負などをつぶやいてもらった。 ――明けましておめでとうございます! カツキさんは年末年始どう過ごされましたか? あのですね、年末年始は僕は家族をもっているんで家族の行事、最も

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    urbansea 2011/03/07
    世界水草レイアウトコンテスト2010
  • 北京・オリンピック公園で赤く煌く「鳥の巣」と、青く輝く「水立方」を見る−北京旅行記その1 - ポンパドール・パラソル:野望編

    2月末から3月頭にかけて北京に行ってきました。これから数回に分けて北京旅行について書いていくのでヨロシクお願いします。第一回目は、有名な「鳥の巣」があるオリンピック公園です。 2008年に北京オリンピックが開催されたときにメイン会場となったのがこのオリンピック公園です。今は外国人をはじめたくさんの観光客が訪れる観光名所となっており、ぼくもその一員としてしっかり楽しんできました! ▲はしゃぐ日人 北京というか中国は、だいたいの事が漢字で書いてあるので、書いてある事が何となくの範囲では理解できます。例えばオリンピック公園に行くためには、地下鉄10号線の北土城という駅で地下鉄8号線に乗り換え、「奥林匹克公園」という駅で降ります。これはつまり、「奥(オゥ)林(リン)匹(ピッ)克(クゥ!)公園」という意味であり、やや無理がありますが日人フレンドリーな駅名であることが分かります。 奥林匹克公園駅を

    北京・オリンピック公園で赤く煌く「鳥の巣」と、青く輝く「水立方」を見る−北京旅行記その1 - ポンパドール・パラソル:野望編
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    urbansea 2011/03/07
    広いだけに、引きじりがあるのが魅力、か。
  • ダグラス・ラミス - Wikipedia

    ダグラス・ラミス(Charles Douglas Lummis、1936年 - )は、アメリカ合衆国の政治学者、評論家。専門は政治学。日在住。 サンフランシスコに生まれ、カリフォルニア大学バークレー校卒業。1960年に海兵隊員として沖縄県に駐留。1961年に除隊後、関西に住み、ベ平連の一員として日での活動を始める。1980年津田塾大学教授。2000年退職。以後は沖縄に移り住み、非常勤講師を勤める傍ら、執筆や講演活動を行っている。 日人論批判で知られ、のち平和運動家、また文筆活動をする。 著書[編集] 単著[編集] 『イデオロギーとしての英会話』(晶文社, 1976年) 『内なる外国――『菊と刀』再考』(時事通信社, 1981年/ちくま学芸文庫 1997年) 『影の学問、窓の学問』(晶文社, 1982年) A New Look at the Chrysanthemum and the

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    urbansea 2011/03/07
    1960年に海兵隊員として沖縄県に駐留。1961年に除隊後、関西に住み、べ平連の一員として日本での活動を始める。1980年津田塾大学教授。2000年退職。以後は沖縄に移り住む。
  • 韓国野球発展の礎を築いた「在日コリアン」の存在 - Transnational History

    (このエントリは後から2箇所、訂正を行いました。) 先月、BShiで放送された番組『白球 選手たちは海を渡った』。 やっと録画しといたものを全部見ることができた。(すぐ書く予定が伸び伸びになっていました(^^; この番組は1940年代から1960年代にボールを追いかけた在日コリアンの野球選手にかなり焦点があてられており、植民地支配や朝鮮戦争による南北分断といった政治状況に翻弄されながらも「野球に生きた」在日コリアン1世2世を中心にインタビューを行っている。 日で野球を学んだ彼らは韓国野球の歴史をつくっていくわけだが、在日コリアンといっても年代や世代によって、じつに多様であるので一括りにして語ることにならないよう、以下なるべく番組内の証言に依拠したかたちで、その多様な在日コリアンを紹介していきます。 金 星根(キム・ソングン)*1 1942年、京都生まれ。日人のなかで育った在日コリアン2

    韓国野球発展の礎を築いた「在日コリアン」の存在 - Transnational History
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    urbansea 2011/03/07
    木本茂美という選手は知らなかった。福士敬章と同年にカープから韓国へ。/長州力も韓国代表で五輪に出た際、同朋の勝利には何も感じず、専修大の先輩の金メダルに涙した。スポーツ選手のアイデンティティ。>>早稲田人
  • TAYLOR-HOBSON COOKE FILMO SPECIAL 1INCH f/1.8(その2 NEX編) - F1.1

    数あるCマウント標準レンズ(25mm/1inch)の中でNEXに装着してもくっきりケラレてしまわないレンズというのはほんの一部ですが、その中でも一際イメージサークルが大きくNEXと相性が良いと感じたのは、クック・フィルモスペシャル25mm/1.8でした、 戦前のCマウン標準シネレンズらしい雰囲気の写にもかかわらず、コントラストやシャープネスもしっかりしているので被写体を選ばず使えるし、かなり寄れるて使いやすく、しかも小さくてエッジの立った精密感あふれる意匠もNEX-5に良く似合っているような、、、

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    urbansea 2011/03/07
    NEXにクックのシネレンズ装填。
  • 災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか - 情報考学 Passion For The Future

    ・災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか 大爆発、大震災、大洪水、テロ。大災害が発生した直後には、必ず人々の助け合いのコミュニティが出現する。無償の愛で困っている人を助け、絶望している人を励ます。普段は眠っていた人々の創造性が発揮される。その特別なコミュニティのことを著者は災害ユートピアと呼ぶ。 サンフランシスコ大地震、ハリファックスの大爆発、ロンドン大空襲、メキシコシティ大地震、9.11同時多発テロ、ハリケーン・カトリーナ...。歴史的な大災害やテロの直後に生成された災害ユートピア事例を研究し、なぜ人々は地獄のような光景の中にユートピアを作りだせるのか。そして、なぜそうしたコミュニティが永続せず、つかの間のパラダイスに終わってしまうのかを探究する。 現実の大きな災害直後の市民の特徴は冷静沈着だ。パニックになる確率はゼロに近い。人々は混乱のさなかにも、冷静に救助活動を開始し

  • カンディンスキーの「あれ?」と地図をひっくり返した小学生 - ohnosakiko’s blog

    デザイン専門学校のデッサンの時間、幾何形態の形の狂いに気づかないで描いている学生に、「紙を横向きにしてみて」と言う。なんで?という顔をしながら画用紙をぐるっと90度回してみると、「あれ?」。なんか変。 形の間違いがそのままで発見できればそれに越したことはないが、少しばかりの狂いはわからない。ずっと見ていればいるほど、見慣れてしまうので。でも見方を変えるとわかったりする。「普通」にしているとわからないことがね。 などと言いながら「じゃ直してみよか」と紙を横向きから元通りにすると、「えーと‥‥」。どこがどう狂っていたんだっけ、またわからなくなっちゃった。「普通」ってこわいですね。 横向きの絵からインスピレーションを得たという、カンディンスキーの有名なエピソードがある。 カンディンスキーがまだ具象的な絵を描いていた時のこと。ある日、帰宅した彼は、アトリエの片隅に「神秘的な輝きに満ちた美しい作品」

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    urbansea 2011/03/07
    >>カンディンスキーが凄かったのは、そこから「じゃあ、絵画の美にとって具体的な対象は邪魔じゃない?」と考えたことだ。そうやって彼は抽象絵画の道を歩み出した。