生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。本名は小泉 太郎(こいずみ たろう)。早川書房の編集者から作家に転じ、『追いつめる』で直木賞を受賞した。日本に正統ハードボイルドを移植した功労者の一人。 上海生まれ。1945年2月に長崎に引き揚げ、6月に母の郷里・金沢に移る[1]。そのため、被爆を免れた[注 1]。その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した[1]。 転居に伴い神奈川県立横浜第二中学校3年に編入した。学制改革により翌年(1948年)には神奈川県立横浜第二高校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)へと改組された同校で4年間学ぶ。同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた。宮原は肺を患って大幅に留年を余儀なくされたが、一時は机を並べたこともあったという[4]。高校時代から小説を書き始め、初めて書いた小説は魯迅の「阿Q正伝」を真似た「小市民香(シャ