2011年5月3日のブックマーク (9件)

  • 夢の伊東温泉と坂のある港町の夢、あるいは銚子電鉄について - 関内関外日記

    万馬券を当てて調子にのって温泉旅行というのが昭和の夢である。行き先は伊東温泉がふさわしい。女と二人、踊り子号に乗って伊豆半島を下る。そして、伊東温泉競輪。「宿賃を浮かしてグリーン車で帰るぞ」などとうそぶくも、俺は競輪をよく知らぬし、女は競輪に全く興味がない。くたびれたスタンドでただただ色とりどりのヘルメットが走り抜けるのを眺める。ときおり飛ぶだれかの野次もくたびれ、風景のすべてがくたびれ、俺もすっかりくたびれてしまう。女は飽いてどこかに行ってしまい、はずれ車券舞う夕照りの中ひとり途方に暮れる。これである。 ※写真は今はもうない競輪場のイメージである。というか俺は花月園の感想を書いていなかったのだっけ? これである、と意を決したところで伊東温泉競輪が開催していなければ話にならない。他場発売では面白くないからだ。だから俺は、調子にのってべつの温泉を目指した。 東京駅からがらがらの特急に乗り込み

    夢の伊東温泉と坂のある港町の夢、あるいは銚子電鉄について - 関内関外日記
  • いとなみ - 東京茶会事件

    2006年ぐらい?からはてなに写真を載せるようになったのだけど、一度過去ログを全部消してしまうことがありました。その後、人に会う度に「もったいない」と言われるので、過去の写真をまとめたものをここにアップすることにします。 ここに載せる写真は2010年に行われた第3回 1_WALL[写真]というコンペに応募したポートフォリオと全く同じ構成のものです。このポートフォリオは一次審査を通ったのですが、二次審査のプレゼンが全くふるわなくて落選しました。 僕にとってこのコンペに受かることは人生の目標の一つなので、このポートフォリオに改良を加えてふたたび1_WALLに挑もうと思っていました。 しかし3.11を経験したことによって、ここにある写真のうちの何枚かはすでに意味を失ってしまった、と感じます。ものが打ち棄てられいる写真、ものが水没している写真、etc…。東日大震災が起こる前、僕はこうした風景を求

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    urbansea 2011/05/03
    廃船と浜辺の鳥居が再掲されてよかった。死の匂いがするのがよい。
  • ユッケ・レバー刺がメニューにない理由 | おや爺のブログ

    お客様から「ユッケ(牛刺し)・レバー刺しはないのか」という問い合わせが少なくありません。 「厚労省と保健所の指導で出せないことになっています。」といったん手短にお答えしています。皆さんビックリされることが多いのです。 実は当店もいまから12年前の1996年まで出していました。この年大阪の堺市でO157学童集団感染が発生しました。患者数7996名、死者3名という大事件です。原因はカイワレ大根が疑われ(のちに撤回される)、刺身・寿司の売り上げが激減したばかりではなく、今ではばかばかしい笑い話のようですが、生野菜すら危険だというテレビなどの報道で、当時野菜サラダさえべなくなったのです。 当店ではとりあえず原因がはっきりするまで、刺身は中止し、予防処置として、次亜塩素水発生装置のモニターやオゾン水殺菌装置を調べて、最終的にオゾン水殺菌装置を導入して、今日に至っています。 その間、大学の医学部の友

    ユッケ・レバー刺がメニューにない理由 | おや爺のブログ
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    urbansea 2011/05/03
    焼肉店経営者による2008年に記事 (牛角にはユッケ・レバ刺がないようだが、それはレインズのコンプライアンスとして正しいことになる)
  • 同和利権の真相 - Wikipedia

    『同和利権の真相』(どうわりけんのしんそう、以下、『真相』と略記する)は、寺園敦史、一ノ宮美成、グループK21らによって編纂された、宝島社のムック「別冊宝島Real」のシリーズである。 「同和行政にからむ利権や、リンチに発展した糾弾活動など、部落解放運動の暗面をルポした」とされるこのシリーズは、2006年の時点で第4弾(文庫版は第3弾まで)と特別版までの5冊が刊行されており、累計50万部前後のベストセラーとなった。 「同和利権」とは、同和対策事業特別措置法(同特法)などの同和行政における公金横領など、同和がらみの汚職を「利権」と表現したものである。『真相』シリーズは、「2002年に終了した同特法などによる同和対策事業が、被差別部落の状態を改善するのに役立ったのは事実だが、その反面、莫大な公金が投入される中でそれは同時に利権を生み、腐敗、不正の温床になった」としている。 『同和利権の真相』を

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    urbansea 2011/05/03
    2002年 ムック本ブームのピークだろう
  • 二段階革命論 - Wikipedia

    二段階革命論(にだんかいかくめいろん)とは、革命を二段階で行う事。特にマルクス・レーニン主義の社会主義や共産主義勢力における主要テーマの1つ。 発達した資主義ではない国で社会主義を目指すための長期方針として通常は、まずは絶対君主制や封建制度などを廃止するブルジョア民主主義革命を発生させ、資主義が発展した後に社会主義革命(プロレタリア革命)を行うとした概念。対比する概念は一段階革命論ないし永続革命論。 概要[編集] マルクス主義の唯物史観に基づく社会の発展形体観では、まず封建制下では封建領主階級や絶対君主が社会を支配し、それを打倒するために新興の階級であるブルジョアジー(資家階級)が近代民主主義(ブルジョア民主主義)をかかげて階級闘争をおこない、国民国家を単位とする「民族」の成立とともに、封建領主階級や絶対君主を打倒して、自らの支配をうちたて、近代的資主義国家を成立させる。次に資

    二段階革命論 - Wikipedia
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    urbansea 2011/05/03
    力業による歴史の進歩 日共は宮本顕治の89年赤旗新春インタビューで二段階革命論を棚上げ、「資本主義の枠内での改革」を強調 今日の大企業の「内部留保」の簒奪はその一環
  • エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス - Wikipedia

    エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスまたはシェイエス、シエイェス[1]、シェイェス[2]、シィエス[3]、シーエス[4](Emmanuel-Joseph Sieyès [sjejɛs]、1748年5月3日 - 1836年6月20日)は、フランスの革命指導者、政治家、聖職者。総裁政府の5人の総裁のひとり(ルーベルの後任)。 人物[編集] 第三身分出身。フレジュスにて徴税人の子として生まれる。ドラギニャンのセミナリオで学ぶ。父親の勧めで聖職者となり、アベ・シエイエス(Abbé Sieyès)とも呼ばれる[5]。1772年司祭に叙階される。1788年オルレアン州議会の聖職階級議員となり、政治にも関与している。この年に『特権論』を発表している[6]。 1789年1月刊行の著書『第三身分とは何か』において「フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である」と訴え、この言葉がフラ

    エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス - Wikipedia
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    urbansea 2011/05/03
    「両議院が対立すると、これほど有害なことはないし、同じ議決となれば、これほど無駄な審議はない。」[要出典]
  • 共同通信社 - Wikipedia

    現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除が行われていない場合は、議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。 審議の結果、該当する投稿以降の全ての版またはこのページ全体(すべての版)が削除される可能性があります。問題箇所の適切な差し戻しが行われていれば、削除の範囲は問題版から差し戻し直前の版までとなる可能性もあります。適切な差し戻しが行われていないと考えられる場合は、この版の編集や引用はしないで下さい。著作権上問題のない自分の投稿内容

    共同通信社 - Wikipedia
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    urbansea 2011/05/03
    一般社団法人共同通信社(BtoB)と株式会社共同通信社(BtoC)
  • 勝俣久作 - Wikipedia

    勝俣 久作(かつまた きゅうさく、1901年 - 1968年)は、昭和期の教育者。 来歴[編集] 神奈川県箱根町出身で、農家の次男に生まれる。勉強好きで、寺の住職に面倒を見てもらいながら高等小学校に通う。卒業後は代用教員をしながら猛勉強し上京、教員資格を取り旧制麻布中学校の国語教師を務める。当時の渾名は「サルマタ」[1]。教え子には吉行淳之介や北杜夫などがいる。 戦後、突然学校をやめて事業を始めるも、ことごとく失敗する。会社勤めも上司とうまくいかず、生活は苦しかったが、帰宅すると仕事とは関係ない勉強をし、飲んで帰っても早朝に勉強していた。その後、代々木ゼミナール創設者の一人として副校長兼古文教師となる。1968年(昭和43年)に死去[2]。 人物[編集] 人は学者を志望していたが、高等小学校卒という学歴に劣等感があり、子供の教育に力を入れるようになる。吉行淳之介は「先生のおかげで国語の時

  • asahi.com(朝日新聞社):ビンラディン容疑者殺害 国際法上の問題、指摘する声も - 国際

    米国によるオサマ・ビンラディン容疑者の殺害は国際法上、認められるのか。戦場での軍事作戦としての殺害だったと考えれば、戦争行為の一環として認められる可能性がある。しかし、国家による個人を狙った「暗殺」と解釈することもでき、米国の行為には疑問の声もある。  米国にとっては、自国の主権が及ばないパキスタンでの殺害だが、パキスタン当局の協力の下で作戦を実行したと主張している。  しかし、標的が戦闘員にあたる人物で、戦争行為の一環として戦場で殺害されたと言えるのかは意見が分かれる。ベルギー・ルーバンカトリック大学のピエール・ダルジョン教授は、この点について「来は生きて拘束されるべきだった。国際法上、認められる殺害だったかどうかは微妙だ」と語る。  オランダ・アムステルダム大学のジャン・ダスプレモン准教授も「米側の行動がすべて国際人道法上の手続きにのっとったものだったのかどうか、今後、検証が必要だ」

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    urbansea 2011/05/03
    CIAの武装した人員は国際法上、なんになるのか気になる。軍人以外の戦闘行為なのだが。