2013年2月28日のブックマーク (4件)

  • 三中井百貨店 - Wikipedia

    1930年代の三中井百貨店京城店の広告 三中井百貨店(みなかいひゃっかてん)は、20世紀前半の朝鮮と満州及び中国大陸に店舗を展開していた日人経営の百貨店。京城では丁子屋・平田・三越・和信と合わせて五大百貨店と呼ばれていた。 沿革[編集] 中江勝次郎(1872年 - 1944年)が、滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現・東近江市五個荘金堂町)で三中井呉服店を創業したのが始まり。 1905年に勝次郎が大韓帝国に渡り、大邱の西門市場付近に久次郎(西村)・富十郎・準五郎の兄弟4人で三中井商店を設立し、日韓併合の翌年にあたる1911年には京城に拠を移転した。 三中井商店は勝次郎の才覚で店舗を次々に出店し、朝鮮と満州及び中国大陸に18店舗(京城・釜山・大邱・平壌・咸興・元山・群山・木浦・大田・光州・晋州・興南・新京など)を持つ百貨店チェーンを一代で創り上げた。 当時の店舗はテナント方式を採用せず、全フロ

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    urbansea 2013/02/28
  • 石井三雄 - Wikipedia

    石井 三雄(いしい さんゆう[1]、1931年4月15日[1] - 2021年[2])は、日政治家。元狛江市長(3期)。 概要[編集] 市長になるまで[編集] 東京都狛江市出身[1]。1971年には狛江市議会議員に初当選し、以降4期16年務めた。その間には市議会議長も務めている。そして1984年、吉岡金四郎の後を引き継ぎ、市長となった[3]。 市長時代[編集] 市長時代には小田急電鉄複々線事業によって高架駅舎となるため、当時の市議(後の市長となる)矢野裕は議会で「車椅子利用者のためにエレベーターの設置すべき」という主張に対して、それに賛同して当時エスカレーターの設置で十分という考えだった小田急に対してエレベーター設置を要請した[4]。そのほかの取り組みは狛江駅北口整備、北口地下駐車場整備、災害対策、あいとぴあセンター建設などを積極的に推進した[5][6]。しかしながらその影には市の借金

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    urbansea 2013/02/28
    ドラマティックだよなあ。
  • 惜しくも終了、木葉功一『ディザインド』 - メモリの藻屑 、記憶領域のゴミ

    ■ベアゲルター(1) / 沙村広明 梶芽衣子の昭和任侠・バイオレンス映画に物凄く興味を惹かれた時期があった。というのもオレはタランティーノの映画『キル・ビル』がオールタイムベストに入れて良い位愛する映画なのだが、この映画の一部は梶芽衣子の『修羅雪姫』にオマージュを捧げたものであると知ったからだ。その後観る事が出来た映画『修羅雪姫』は確かに噂に違わぬ最高にイカレた最高にイカした作品だった。だが、それから梶芽衣子映画を続けて観たかというとそうでもなかった。興味を無くしたわけではなく、逆に面白過ぎてとことんハマリそうでヤヴァイものを感じたからである。関連作品を芋づる式に全部観てしまいそうで、とてもじゃないが時間的なキャパ超過になりそうだった為に泣く泣く封印したのだ。 沙村広明の新作コミック、『ベアゲルター』のあらすじをざっと読んだときに頭に浮かんだのは、『キル・ビル』の女殺し屋集団ブラックマンバ

    惜しくも終了、木葉功一『ディザインド』 - メモリの藻屑 、記憶領域のゴミ
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    urbansea 2013/02/28
  • 自意識のセーフティネットを破って - ohnosakiko’s blog

    Midas  絵画とは「この私には世界はどう見えているか」を他人に知らせ共有するもの。そもそも「こんな私を見て!」の人が上手くなるわけがない(才能以前の問題)。 2013/02/25 http://b.hatena.ne.jp/Midas/20130225#bookmark-134087494 その通りだと思うのですが、なんとなく「どこにも居場所がなく、美術方面に流れてくる若者」像を思い出したので、少し長いですが拙書から引用してみます(文中の「私のことをわかって」の前提にあるのが「こんな私を見て!」)。 最初にそうした若者を見たのは、二十年ほど前、美大予備校で働いていた頃でした。「他に何もできないけど絵が三度の飯より好き」「美術だけは人に負けない」というよくいるタイプではなく、「何もできない中で美術がまだ一番マシかなと思っている」タイプ。大学に入れなければ就職するしかなく、それはどうしても

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    urbansea 2013/02/28
    無能にもかかわらず、なにか出来る気がする自分を守るために、私はCM制作会社に入ったのだと、あらためて気づく。