ヴァシリー・ヴァシリエヴィチ・ウルリヒ(ロシア語: Васи́лий Васи́льевич У́льрих、1889年7月13日 - 1951年5月7日)は、ソビエト連邦の裁判官。ヨシフ・スターリンやNKVDがでっち上げた事件で起訴された無数の冤罪被告人に対して有罪判決を下し、スターリン独裁体制を支えた。 姓はロシア語表記に従ってウリリヒ、ウリリフと表記される場合もある。 リヴォニア州(英語版)のリガで、ドイツ系の父親とロシア貴族出身の母親との間に生まれた。父が革命家であったため、ロシア当局により一家ごとシベリアのイルクーツクへ5年の流刑に処された。1910年にリガへ戻り、リガ工科大学で商学を学んだ。1914年に卒業した後、第一次世界大戦の最前線に送られた[1]。 ロシア革命後はレフ・トロツキーによってチェーカーに入れられた。さらに1921年7月、軍事委員会の一員となる[2]。ここでスタ