証人喚問される徳田球一(1950年3月16日) 徳田要請問題(とくだようせいもんだい)とは、1950年(昭和25年)2月にソビエト連邦のシベリア抑留から帰還した引揚者の一部が、自分たちの帰国が遅れたのは日本共産党書記長であった徳田球一の要請によるものだと主張した事件。3月から4月にかけて衆議院と参議院の各委員会で当事者として証人喚問された菅季治が遺書を残して自殺したことで話題となった。「徳田要請」「徳田要請事件」とも呼ばれている。 1950年2月23日、2月9日に引揚船高砂丸で舞鶴港へ帰還した抑留引揚者のグループ「日の丸梯団」の団長・久保田善蔵が参議院引揚特別委員会で証言に立ち、船上で373名が署名した以下の懇請書を読み上げ、「日本人にして赤化思想を持たぬ者は絶対に日本に帰してくれるな」と徳田がソ連に対して要請したがために帰還が遅れたと主張し、日本国政府・国会並びに連合国軍最高司令官総司令