米国の1月の出版統計で、E-Bookが初めて新刊ハードカバーを上回り、一気に一般書籍販売額の23.5%を占めたというニュースは、かなりショッキングなものだが、この2年間のトレンドの延長として理解するほかはない。このことの意味することは大きい。つまり、米国ではすでに(日本では数年以内に)デジタルを主とし、印刷を従として商品を計画すべき時代となったということである(電主印従)。印刷版をつくった後で、電子版を制作しようとする従来の方法では、コスト的にもマーケティング的にもまったく対応できない。 印刷本と電子本は方向性が違う 「印主電従」の何が問題だったかを考えてみよう。印刷物とデジタルファイルは、まったく違った性質を持つ。 印刷本の場合は出版社がすべてのコストを負担し、印刷工程以降のコストは可変コストであるのに対して、デジタルではコンテンツ制作以降のコストは固定である。 印刷本では、仕様(用紙・
「非常」の時は来た。こういう時にE-Book(「電子書籍」ではない。オンライン出版・情報サービスだ)を語ることが何の意味を持つか? 大いにある。ありすぎる。それは差し迫った時に人々を「情報・知識・智恵」で結びつけ、「意味」のある活動に向かわせることに尽きる。情報は錯綜している。最悪の情報ほど届かない。必要な知識は分散しており、頼りとすべき智恵と勇気のある人は権力中枢にいない。この時こそ、20世紀的マスメディアではなく、21世紀型コミュニケーションメディアの出番だ。 E-Bookが今ほど役に立つ時はない 出版は知識情報のコミュニケーションの手段である。「非常」の時こそ果たすべき特別な役割がある。正確・適切な情報(データ、知識・智恵)をタイムリーに発信・受信することだ。電子的な出版は、情報の物理的複製・配布手段を必要としない、最も迅速確実な手段であり、最小限の電源さえあれば、届けることが出来る
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