「朝鮮通信使も賞賛した暴れん坊将軍」‐日本人と韓国人はお互いに相手を理解できないでいます。両国とも儒教の影響を受けているのに何故でしょう。主に思想史の観点から掘り下げてみます。華やかな正装に身を包んだ朝鮮通信使の高官数十人は、鼓吹隊のゆるやかな奏楽とともに江戸城の城門を幾つもくぐり、大広間で将軍吉宗に拝謁しました。1719年10月1日のことです。この時の吉宗は将軍となって3年、改革に意欲を燃やす働き盛りの36歳でした。申維翰は吉宗から強い印象を受けたようで、次のように記述しています。 「将軍は頭に一角烏帽子を戴き、淡青色の衣を身に着け、座布団を重ねた上に坐っていた。背もたれや腰掛といった諸物はない。その座所が奥深い所にあり、近くからその人となりをつぶさに見ることは出来なかった。しかし、おおよそのところ、筋肉質な長身で精悍な印象である。顔色は白いがやや黄味があり、顔つきは豊かさに欠けている。