先日の新聞に、このまま温暖化が進むと百年後の西日本は夏に雨の日が多くなって、八月の降水量が現在の一・六倍になる、という記事が載っていた。 読んで最初の感想は「百年後か。それなら逃げ切れた」だった。私は子どもがいないけれど、姪と甥ならいる。しかし百年後だったら姪と甥ももう生きていないし、そのまた子どもたちだって七十歳以上になっているだろう。ついでに言うと、その記事によれば北海道から関東までの降水量はほぼ現在と変わらない。 「まずはひと安心」と思いかけたところで、チェーホフの芝居『ワーニャ伯父さん』の台詞を思い出した。 「百年、二百年あとから、この世に生まれてくる人たちは、今こうして、せっせと開拓の仕事をしているわれわれのことを、ありがたいと思ってくれるだろうか。」 これは医者のアーストロフの台詞だ。彼は近隣の貧しい村に治療に出掛けたりするかたわら、森に木を植えている。十九世紀後半のロシアの森
乾いた文章が好きな人。 湿った文章が好きな人。 感情の起伏が伝わる文章が好きな人。 淡々とした文章が好きな人。 人それぞれに好みがあり、人それぞれに目指すものが異なる。 読み手の一人としては、やはり「人柄が滲み出た」文章が好きだ。 変に感情的になることなく、論理的で、それでいてほのぼのとした人柄が感じられる文章。 そういったものに私は惹かれる。 一方書き手としては、「乾いた文章」が書ける人間でありたい。 感情の起伏が非常に激しく、自身ですらコントロール不能になることが多いためか、せめて文章の上だけでも「乾いた」人でありたい。 勿論、無いものねだりである。 私がこれまで書いてきた文章を見ればわかるが、現実は「乾いた文章」には程遠い。 その時々の感情が言葉の端々に滲み出て、思わず苦笑してしまうことも少なくない。 それでも公開を止めないのは、そこにいるのが紛れも無く「私
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