民族に関するusankusaのブックマーク (4)

  • 「知らないこと」は「必要ないこと」か

    「知らないこと」は「必要ないこと」か ロバート・リケット◎文学科助教授 はじめに 他者・他民族への理解は、たとえ小さなことであっても、「知る」ことからはじまります。その一歩さえ踏み出せない、いや踏み出させない「われわれ」。 「わたくし」を包摂する「われわれ」、「われわれ」 の中で揺れ動いている「わたくし」、「わたくし」の中の「われわれ」。人生をほぼ半分に、日アメリカに分けて生きてきた僕は、「わたくし」と「われわれ」を区別する難しさをつくづく感じます。 しかし、事情によって、場合によって、両者の区切り方によって、「われわれ」に入らない、あるいは入れてもらえない「わたくし」もいます。障害、性別、人種、民族、国籍などとなると、この線がよりはっきりと引かれます。 民族と国家の場合には、国家のあり方や社会・経済体制にも、もちろん原因がありますが、それ以上に、他民族への抑圧を通して形成されてきた自

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    台風7号(アンピル)発生…気象庁の進路予想、米軍やヨーロッパの見方は 接近いつ、8月13日午後9時の実況

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    usankusa
    usankusa 2010/03/28
    なぜ弱いほうにばかり矛先が向かうのかと書こうと思ったが、矛先は知事のほうにも向かっていたようで http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0002813344.shtml いやまったく問題外のクズであることに変わりはないが。
  • 誰が「民族」に属するか?――少数民族の成員資格をめぐって - Danas je lep dan.

    「民族」の客観的定義は不可能である。だが少数民族・先住民族への特別な政策を行っているような国では,「誰がその民族に属するのか」を定義することが政治的に要請される。 アメリカ先住民の場合,その定義は複雑である。彼らを対象とした連邦法は,それぞれ異なる定義を示す(たとえば,1972年のインディアン教育法では「八分の一」の純血,1990年のインディアン美術工芸品法では公認部族の一員であること)*1。一方,部族員の認定は,各部族政府に委ねられている。部族によって経済状況や混血の進み方に差があるからだ。ゆえに,「四分の一」の純血であることを要求する部族もあれば,自意識のみで部族の一員と定義する部族も存在する。ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在 (岩波新書)作者: 鎌田遵出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/01メディア: 新書クリック: 1回この商品を含むブログ (11件) を見る 

    usankusa
    usankusa 2010/03/27
    なんとすっきり明快な定義。民族とは、つまるところそういうものなのだ、と最近では思いなおしています。
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