前月の記憶も忘れる社会 目下のコロナ騒動が前例のないものではなく、歴史家の眼で見ればかつて起きた国家的な失敗の反復に過ぎないことを、前編では論じた。しかし私はいま、そうした「歴史」というものの無力さを痛感している。 短くとも数十年、長くて一千年単位の「時間の幅」を意識せずしては、歴史は書けない。この前提にはおそらく、多くの人が同意してくれるだろう。しかし人びとの記憶はいまや、1年間はおろか、1か月も続かないのが現状だと思う。 思い出してほしい。安倍晋三首相が全国の小中高校に、春休みまでの臨時休校を要請したのは2月27日。このとき識者や世論の反応は「唐突すぎる。現場の混乱や共働き家庭の育児など、副作用が大きく乱暴だ」というものだった。 ところが1か月経った3月末から4月頭にかけては、逆に「なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか」との憤懣が急激に高まり、煽られるように4月7日に安倍氏が緊急事態を
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