女性宮家とは別に、悠仁さまだけとなっている将来の皇位継承を安定的に維持する方策として取り沙汰されているのが、昭和22年10月に皇籍離脱した旧皇族の男性を皇籍に復帰させる案だ。 戦後、日本を占領統治したGHQ(連合国軍総司令部)の方針で、伏見宮▽東伏見宮▽山階宮▽賀陽宮▽久邇宮▽梨本宮▽朝香宮▽東久邇宮▽北白川宮▽竹田宮▽閑院宮-の11宮家が皇籍を離れた。 11宮家はいずれも、1802年に生まれた邦家親王(伏見宮)の子孫にあたる。明治天皇や昭和天皇の内親王方が嫁ぐなど、天皇家と姻戚関係にある家も多い。しかし、皇統譜で伏見宮家が天皇家から分かれたのは南北朝時代。男系で天皇家にたどりつくには北朝第3代崇光(すこう)天皇(1348~1351年)の皇子・栄仁(よしひと)親王まで約20代、600年以上さかのぼる。 現在、11宮家はどのようになっているのか。旧皇族・竹田家出身の作家、竹田恒泰氏によると、