心の旅 私は炭坑町に生まれた。父が炭坑会社に勤めていたのだった。 出水で炭坑が閉山されるまで、古くて小さい木造平屋に家族4人で住んでいた。閉山同時、私は4歳なったかならないか。その頃の妙に寂れた人情味のある光景は、スライド写真のように断片的に記憶の片隅に残っている。 父が働いて事務所は、我が家の前の細い道を真っすぐ歩いて2〜3分のところにあった。就学前の私は、父にお昼のお弁当を届ける役目だった。11時半になると、母は台所に立ち、自分と私のお昼ご飯を作りつつ、父の平たいアルミの弁当を詰めた。それを新聞紙で包み、さらに木綿の布巾で包みキュッと結んで、私に渡す。 「車に気をつけてね。」 なにせ小さな町。車など殆ど通らなかったけれど、私はコクリと頷くと、母から父への愛の詰まった弁当を大事に抱え勝手口から出動。大人から見れば事務所まで目と鼻の距離。でも、幼児にとっては『Route 66』のように感じ