ゲームと一口に言うけれど 批評なくして総論なし ミクロ視線における批評の価値 ゲームコミュニティにおけるコンセンサスの欠如 自分たちのゲームは自分たちで語る ゲームと一口に言うけれど 最近、ゲームを様々な目線で語ろうという動きが活発だ。 とりわけマクロな目線で、ゲーム性やゲーム論といった名目で、「ゲームとは何か」という疑問に対し、ロジェ・カイヨワの議論を引用するとか、ポストモダンの影響を考察するとか、様々なアプローチが試みられている。昨今では、『ゲンロン8』の刊行も印象的だ。 ところが、こうしたマクロな目線での「ゲーム論」に世間的な理解が示されることは少なく、むしろ批判的な意見が多い、またゲーム論自体も雑然とした内容が多いよう見受けられる。 批評なくして総論なし 何故マクロな議論が進まないのか。私個人の意見を率直に話すと、とりあえず「ゲームとは何か」という幅広い議論は時期尚早でないかという
![空洞化した15年のゲーム批評で、僕らは「僕らのゲーム」を批評しなければならない。 - ゲーマー日日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1aae4968540962d92c0ae83f1a97d6bfcd0b80e8/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fa%2Farcadia11%2F20180620%2F20180620214117.jpg)