昭和六(一九三一)年九月十八日、関東軍は奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖の南満州鉄道の鉄路を爆破した。関東軍は、この爆破は張学良の東北軍による破壊工作だと発表すると、ただちに軍事行動に移り、翌日までに奉天・長春・営口を占領した。特務機関長の土肥原賢二大佐が奉天の臨時市長となり、部下だった甘粕正彦はハルビン出兵の口実づくりのため、奉天市内各所に爆弾を投げこんだ。 満州事変の発端である。暗黒の昭和史はもはや後戻りできなくなった。このシナリオを裏で書いたのは関東軍参謀の石原莞爾で、実行者は板垣征四郎だった。 石原莞爾は山形県鶴岡の警察官の子で、陸軍幼年学校で軍人にあこがれて育ち、のちに外交官となった東政図にアジア主義を叩きこまれるとともに熱烈な日蓮主義者となった。田中智学の国柱会に接近するなかで、その日蓮主義は過激になっていく。 田中智学は文久の日本橋の生まれで、十歳のときに日蓮宗門に出家して、し