ブックマーク / www.aozora.gr.jp (7)

  • 菊池寛 勝負事

  • アントン・チェーホフ Anton Chekhov 神西清訳 ねむい СПАТЬ ХОЧЕТСЯ

    夜ふけ。十三になる子守り娘のワーリカが、赤んぼの臥(ね)ている揺りかごを揺すぶりながら、やっと聞こえるほどの声で、つぶやいている。―― 聖像の前に、みどり色の燈明がともっている。部屋の隅から隅へかけて、細引が一わたしてあって、それにお襁褓(むつ)や、大きな黒ズボンが吊るしてある。燈明から、みどり色の大きな光の輪が天井に射し、お襁褓やズボンは、ほそ長い影を、煖炉(ペチカ)や、揺りかごや、ワーリカに投げかけている。……燈明がまたたきはじめると、光の輪や影は活気づいて、風に吹かれているように動きだす。むんむんする。キャベツ汁と、商売どうぐの革のにおい。 赤んぼは泣いている。さっきから泣きつづけで、もうとうに声がかれ、精根つきているのだけれど、あい変らず泣いていて、いつやまるのかわからない。ワーリカは、ねむくてたまらない。眼がくっつきそうだし、頭は下へ下へと引っぱられて、首根っこがずきずきする

  • アントン・チェーホフ Anton Chekhov 神西清訳 かき УСТРИЦЫ

    小雨(こさめ)もよいの、ある秋の夕暮れだった。(ぼくは、あのときのことをはっきりおぼえている。) ぼくは、父につれられて、人の行き来のはげしい、モスクワの、とある大通りにたたずんでいるうちに、なんだかだんだん妙に、気分がわるくなってきた。べつにどこも痛まないくせに、へんに足ががくがくして、言葉がのどもとにつかえ、頭がぐったり横にかたむく。……このぶんだと、今にもぶったおれて、気をうしなってしまいそうなのだ。 このまま入院さわぎにでもなったとしたら、きっと病院の先生たちは、ぼくのかけ札に、≪腹ぺこ≫という病気の名を書き入れたにちがいない。――もっともこれは、お医者さんの教科書にはのっていない病気なのだけれど。 歩道の上には、ぼくと並んで父が立っている。父は着古した夏外套(なつがいとう)をはおって、白っぽい綿がはみだした毛の帽子をかぶっている。足には、だぶだぶな重いオーバーシューズをはいている

  • 倉田百三 学生と読書 ――いかに書を読むべきか――

  • 僕の読書法 (織田 作之助)

    大阪市南区生玉前町生まれ。1935年12月、青山光二、白崎礼三らと同人雑誌「海風」を創刊。1940年4月に、『夫婦善哉』をその「海風」に発表。改造社の第一回文芸推薦作品となる。1941年に満里閣より刊行された『青春の逆説』は発禁処分を受ける。他に『聴雨』『木の都』『世相』など。また、ラジオ・ドラマやシナリオも手がけ、1944年「映画評論」に掲載された脚『四つの都』は、「還って来た男」(監督・川島雄三)として松竹で映画化されている。1946年8月、読売新聞に『土曜夫人』を連載開始。しかし喀血し中断。翌年1月10日、東京病院で死す。 「織田作之助」

    僕の読書法 (織田 作之助)
  • 読書弁 (正岡 子規)

    この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

    読書弁 (正岡 子規)
  • 三木清 如何に読書すべきか

    一 先ず大切なことは読書の習慣を作るということである。他の場合と同じように、ここでも習慣が必要である。ひとは、単に義務からのみ、或いは単に興味からのみ、読書し得るものではない、習慣が実に多くのことを為(な)すのである。そして他のことについてと同じように、読書の習慣も早くから養わねばならぬ。学生の時代に読書の習慣を作らなかった者は恐らく生涯読書の面白さを理解しないで終るであろう。 読書の習慣を養うには閑暇を見出すことに努めなければならぬ。そして人生において閑暇は見出そうとさえすれば何処(どこ)にでもあるものだ。朝出掛ける前の半時間、夜眠る前の一時間、読書のための時間を作ろうと思えば何時(いつ)でもできる。現代の生活はたしかに忙しくなっている。終日妨げられないで読書することのできた昔の人は羨望(せんぼう)に値するであろう。しかし如何に忙しい人も自分の好きなことのためには閑暇を作ることを知ってい

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