精神心理に関するusuiouのブックマーク (67)

  • 死と共同性 −「共鳴する死」の手前で

  • 他界観あれこれ - 坊主めくり

    第二百五十二段 他界観あれこれ・1 イズコ  あなたは3つの行き先を選べるわ 死を受け入れて天国に旅立つ 受け入れず霊になって現世をさまよう そしてもう一つ…現世の人間を呪い殺す 法子   呪い殺す…?(あたしを殺した犯人が) 誰だかわかるってことね イズコ  だけど人を殺すということは、それなりの覚悟がいるわ 人を殺したり自殺をした人間は地獄に行くの そして再生のない苦痛が永遠に続くのよ 今の死を受け入れて 家族が天国に上がってくるのを待ったら? 12日間で決めて…どれを選ぶか ヤンジャンコミック  高橋ツトム  「スカイハイ」 1巻  集英社 やっぱ高橋ツトムは面白いなぁ~などと思いながら 件の「スカイハイ」を読んでたりするわけですが 基は因果応報の説話物語でありまして 日霊異記や今昔物語と同じ系譜に捻りを加え 現代風のヒューマンドラマにアレンジ

  • 確かに“読めてしまう”コピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く

    「なんだこりゃ」と思ってよく“読んで”みると「へー」と驚くコピペ文章が最近2ちゃんねるに登場し、スレッド(スレ)の題そっちのけでコピペに関する考察レスが交わされる……なんてことも起きている。 コピペ文はひらがなとカタカナだけで書かれており、一見すると2chでたまに見かけるうわごとにしか見えない。だがよくよく“読んで”みると、「確かに読める」と、ちょっと驚く。どうして「読める」のかは、コピペ文自体が説明してくれている。 「【ネット】「ウィキペディアが与える影響を調べるため」学生がもっともらしい嘘の書き込み 多数の欧米大手紙がだまされて引用」では、このコピペが2レス目に登場。「読めた」「人間の脳すげー」といったレスが相次ぎ、題へのレスと入り交じって何のスレなのか分からない状態になっていた。 コピペが登場したスレには、人の記憶と認識に仕組みについて考察や、読める人と読めない人の違い、現象学的

    確かに“読めてしまう”コピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く
  • 「何も選ばない」生き方のすすめ:日経ビジネスオンライン

    米国に端を発した金融危機、日々口にするようなべ物の汚染発覚など、いまや「不安」が常態となっている。 不安な時代が叫ばれるほど、その裏返しに「こうすれば確実に成功を得られますよ」といった、生き方やノウハウの話がもてはやされる。思えば、家庭や学校で教えられた「自分の頭で考え、決断できる人になりましょう」といったこともノウハウの1つでしかなかった。 ある程度の年齢を重ねれば、そんな法則が当てはまらない多くの例外を目にするが、むしろ例外の方が主流なのではと思えてくる。 世の中、思いどおりに行くことのほうが珍しい。努力して成功したが、健康を害した。財産を失ったが、愛する人と巡り会えた……。手に入れるとは失うことであり、その逆も真だと思えることが多い。すべてが偶然ならば、自分の意志で成し遂げられることは、そう多くはないのではないか。 そもそも人は、いつ死ぬかは分からない。だが、“老い”や“病”を得て

    「何も選ばない」生き方のすすめ:日経ビジネスオンライン
  • 死後の世界は認められつつある - 久幸繙文 電子版

    私は最初、その男が何を言いたいのか理解できなかった。あまりに突然の物言いだったし、それ以前に内容があまりにも突飛すぎたからだ。耳を疑うということを、私は生まれて初めて『当に』試してみたような気がする。 「要するに、だね」 男は大仰に両手を広げると、にやにやと勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。 「現代科学は、徐々にではあるが『死後の世界』を認めつつあるのだよ」 そんなバカな話があるものか。少なくとも私が知る限り、現代科学が『死後の世界』を認めたなどという話は聞いたことがない。もし証明されたとすれば、新聞のトップ面はおろか、ノーベル賞ものの発見といえるだろう。何賞にあたるのかは知らないが。 「確かに、直接的に認めたわけではないがね」 「それではなんですか、あなたは人には魂だの霊だのが宿っていて、それが死ぬと天国や地獄に行くとでも言うのですか?」 男は静かに首を振る。 「『霊魂』の存在を認

  • 「殺したいから殺した」

    あーなるほどねー。 正直今は器官なき身体お休み中。抑圧機械がわたしの欲望を抑圧している。 だから文章も書けない。こういう時にはむしろ幻想構築して「欲望の介入をさせない」精神分析家ごっこするのも楽しいかもしれない。 うぜー。めんどー。 あー秋葉原事件ね。加藤容疑者ネットで神呼ばわりだと。どこよ? ってヒサブリにぬ速見てた。ほへーん。 正直、宅間事件でもそうだが、こういった事件になんでみんなこんなにも欲望できるのだろう? と思う。 欲望とは、伴う情動が好きか嫌いかなんて関係ない。加藤の行為を称賛するも批判するも関係ない。わたしから見れば、みんな等しく「加藤のしたこと」に強い興味抱いている、ということになる。ここでの欲望という言葉は興味を抱くという意味に捉えた方がいいかもしれない。 いやいいんだ。確かにラカン的享楽を主題にした作品なんだから。世の中に流布している「加藤事件」は、一つの芸術作品とし

  • オルタナ音楽と音源との関係。飽きの美学。 - 昆虫亀

    accidentsの音源を聴きながら、ハードコア、オルタナ、アヴァンギャルドといわれる音楽群と、その音源との関係についていくつか考える。 音源は「聴き込む」という行為を可能にする。聴き込めば次第に見えてくる良さがあるのはどのようなジャンルでも同じだが、抽象的爆音バンド、いわゆるノイズ調の音楽は、より音源によって気付かされる部分が多いように思われる。彼らの音楽は、絵画で例えれば抽象画のようなものであって、アーティストが何をやりたいのかが、ぱっと聴く限り、素朴にはよく分からん作品なのである。ただし、単なるコンセプチュアルアートではないから、アーティストの狙いを言語で理解すれば済むような作品でもない。作品を体験しそこに没入することで見えてくるもの、感じられるものが確かにある。そういう作品だ。 彼らの音楽はキャッチーではない。メロディーもないしリズムも複雑だから、理解しづらい。それを安易に、「轟音