ガルシア=マルケスを読むのは初めてである。 様々な本を思い出しながら本書を読んだ。大江や中上、筒井などの作品が頭をよぎる。多くの日本文学好きの人も同様と思う。 こうした人々に本書が影響を与えたのか、それとも彼らがガルシア=マルケスに影響を与えたのか、それとも同時代的な響き合いがあったのか、私は知らない。調べる気もない。が、どうも本書が影響を与えたのだろうという気がする。 理由は、本書の「手探り」感である。上に挙げた作家の、こうしたスタイルの本は、どれも「既存の原型」に向かって書かれたという感覚があったのである。これは、何も現在、本書を読み終えたから言っているのではない。彼等の作品を読む大学生の日々に、そうした感覚を感じていたものである。原型というとものものしいが、何か「ねらい」のようなものである。それはエンターテイメント的なものでなく、いや、むしろエンターテイメントから遠い所で、狙われ、そ
2007年02月24日04:30 カテゴリ書評/画評/品評 書評 - 百年の孤独 こちらも「本が好き!」で申し込んだ一冊。なのだけど.... 百年の孤独 García Márquez これが発表された1967年ならとにかく、40年後の今傑作といわれると、どうなのだろうか。 百年の孤独、四十年後の退屈と言ってしまってはあまりに失礼だろうか。 【書評】 百年の孤独:本が好き! - livedoor Blog この小説が最初に翻訳された頃、ガルシア=マルケスの世界を表現するために「魔術的リアリズム」という言葉がよく使われました。それは、現実にはありえないこと、起こりそうもないことを、実にさらっと自然に書いてしまう文体とストーリー・テリングのせいであったと思います。今回久しぶりに読み返しましたが、この世界を堪能しました。素晴らしいです。今後数世紀にわたって読み継がれる、20世紀の文化遺産の一つであ
このまま永遠に夕凪を。 …THE BOOMの名曲「島唄」(宮沢和史 詞・曲)の旋律は、沖縄音階(ドミファソシド)で書かれています。しかし、曲の途中で、沖縄音階でない、日本のヨナ抜き音階(ドレミソラド)が出現する箇所があります。 ウージの森で あなたと出会い (ドシラドミソミ ミレドレドラソラ) ウージの下で 千代にさよなら (ドレミミソラレ ミレドドレミレ) というところです。私は、突然ここで沖縄音階が姿を消すのはなぜなのか、ずっと疑問に思っていました。それが、最近読んだ新聞記事で氷解しました。 〈うたの旅人〉海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」 (asahi.com) 上に掲げた歌詞は、太平洋戦争末期、沖縄戦で起きた「ガマでの集団自死」を暗示しているというのですね。 「彼らを死に追いやったのは、当時の日本の軍事教育。沖縄音階では歌えない」 という判断で、ここだけはわざと日本風のメロディーにし
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