犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 近代社会は、どの国の憲法にも書かれているとおり、人間の平等を建前とする。ところが人間には、多かれ少なかれ他人を出し抜きたいという欲望があり、その衝突が争いを生じさせる。原始的には、生きるための食欲と物欲、子孫を残すための性欲である。この秩序が維持されると、さらなる高い欲望の争い、すなわち支配欲や権力欲の争いが展開される。すなわち、身分制度を否定した近代社会の平等が、皮肉にも平等に欲望の争いを生じさせる土壌を肯定し、それが不平等を生むことになった。現代社会のいじめは、この1つの形態である。 従来、いじめは学校の中で行われる行為であり、「職場のいじめ」という言い回しはなされていなかった。もちろん、いじめは人間社会において不可避である以上、昔から大人社会にも存在した行為である
![谷沢永一著 『いじめを粉砕する九の鉄則』 - 犯罪被害者の法哲学](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/51ea29e3b268288556cf4598542ee3e4fda7d655/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogimg.goo.ne.jp%2Fuser_image%2F6d%2F4a%2Fdd3f42b8b727c89ff2afc13b8f8b938c.jpg)