だからといってどうということもない話。分かる人だけ分かってください。 世界中の母音を語る上でこの図がよく出てきます。口を開いているとか、前の方で喋っているとか、口が丸いとか、あの図です。 現在、別の目的のために母音をちょこちょこといじっているのですが、この図の存在とまるでかみあわないんですよ。そのうちかみあうのかもしれませんが、とりあえず今はこの図の存在が私の中で否定されつつあります。 まあ、音声認識とか音声合成とか工学系の技術はこの図とあまり関係がないので困らないんですが。
![母音のよくある図。 - IHARA Note](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/56a0077b9a56fa2a9b70a9b915cc2b1dd2140aa0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Ft%2Ftihara%2F20120611%2F20120611153655.png)
2700億円を30の団体に配って技術の革新を起こそうという政府の計画がある。目的の部分は悪いことではない。政府の考えた事例を見ると、どうやら虚学ではなく実学に偏っているようではあるが、それを非難するつもりもない。問題は、2700億円で技術革新が起きるかどうかである。 私の第一観は「金で革新は起きない」というものである。技術の研究者が金で買えないものが少なくとも二つあるからである。 一つは「時間」である。技術の研究者はほとんどの場合、雑務に追われている。私の直接の指導教員の教授は二人いるが(助教などをあわせると四人)、例外なく事務仕事に追われていた。政府が想定している研究費に関する資料の作成のほかにも、学内での委員会や学外での学会のとりまとめなどがあったようである。国立の研究所のことは知らないが、似たようなものだろう。これらの事務仕事を金で減らすことはできない。つまり、時間は買えない。でも、
これまでにも色々と音声工学関連の本を紹介してきたが、おそらくこれが最も易しい。 人と対話するコンピュータを創っています 音声認識の最前線 作者: 古井貞熙出版社/メーカー: 角川学芸出版発売日: 2009/02/27メディア: 単行本購入: 7人 クリック: 69回この商品を含むブログ (8件) を見る 著者の古井先生は音声工学に携わる日本人ならば知らない人はいないほどの高名な研究者で、本の帯に「音声認識研究の第一人者」とあるがそれは誇張表現ではない。古井先生は難しい本も出しているのだが、これは難易度としてはものすごく容易で、分かりやすさからいえばブルーバックスと同程度だと思う。数式はほとんど出てこない。その反面、というか当然のことながら、読んでも何かができるというわけではない。そのあたりが入門書や専門書とは違うところである。内容的な信頼性はかなり高い。 この本は、数学が苦手だけれど音声認
年末の「徹子の部屋」に絵を描くゾウのVTRが出てきた。もしかしたら有名な話なのかもしれないが、絵を描くゾウを見たのが初めてだったので驚いた。鼻先にペンを持ち紙にゾウの絵を描いていく。youtubeにも動画があったので貼り付けておく。 面白いと思ったのは、このゾウの絵が人間の絵の描き方にそっくりだったからである。人は絵を描くとき、なぜだか知らないが輪郭から描いていく。塗りつぶすべき内側から描いていく人はまずおらず、ほとんどの人が輪郭から描く。動画を見てもらえれば分かるが、このゾウも輪郭を描いている。 画像処理を少しでもかじったことのある人なら分かると思うが、写真から自動的に輪郭だけを抽出するのは難しい。以前このブログでもやったことがあるが、単純な処理だと下の図のようになる。下の図の何が問題なのかといえば、猫と車のボンネットの区別がついていないところである。輪郭の候補をとり出すことはできても、
本日の日記は親しみのわく教員の例。の補足でもあり、もっと当たり前すぎて教えてもらえなかった研究のこと. - いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー)のコメント欄に関連することでもある。 どの大学にも「分からないことがあったらなんでもいいので質問をしてください」と無茶なことを言う先生や先輩は存在する。そう、これは無茶である。昔から言われていることではあるが、質問ができるのはある程度分かっているときだけであって、まるで分からないときには無理なのである。でも、そのまるで分からないことを質問する方法は存在する。 結論を端的に言えば、「何が分からないのかが分からない」ということを質問の形式で伝えればよい。以下、具体例を書く。 例えば、大学の研究室で卒業研究のテーマを与えられたとしよう。そして、そのテーマもその説明も理解できなかったとしよう。そして、教員が「分からないことがあったらなんでもいいので質
昨日予告したとおり、本日の日記では、ネット上の人のつながり方に始まり手軽な自己表現にまつわる考え方で終わる話を書く。 内容としては昨日の日記とはつながっていないが、まず昨日の日記のことを書く。先日、AVIRG(視聴覚情報研究会)という研究会に行き、講演を二つ聴いて、そのあとの小規模な飲み会に行ってきた(私は身体的な都合により酒もウーロン茶も飲めないのでオレンジジュースだったが)。飲み会で二時間くらい喋ったうちの半分ほどを昨日の日記に書いた。本日の日記の内容はもう半分である。まとまりにはやや欠けるかもしれないが、酔っ払いの話なのでそのあたりは許してほしい。主に、多摩美術大学のデザイン系の人との話である。 話はその日の講演の内容から始まった。講演の内容を強引に短くまとめてしまえば、「現実の世界の人間関係をネットの世界に反映させてみよう」という話だった。よく小学校の前を歩いているがこの小学校では
卒業研究の肝は、正解がない問題(正解を誰も知らない問題)を観察した事実や構築した理論に基づき論じるという点にある。 「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習 卒業論文の指導にあたり、最初の「問い」が立てられない学生について教員が嘆いている。どうやらこの嘆きは多くの先生方の共感を呼び、そして、少なからぬ学生たちの戸惑いを招いているようである。私としては、先生方の共感はどうでもよく、むしろ学生たちの戸惑いに対して応えたい。上記エントリはいわゆる「最近の若者は」論に分類されると思われ、そういう議論も問題提起としてとても大事なのだが、それと同じくらいに回答例を具体的に示しておくのも重要だと思う。柔軟性を要求する部分には型を作りたくないと考える教員もいるとは思うが、そういった理想を追求すべきかそれとも一度結果を出させてみるべきかは決着のつかない議論だと思う。 さて、上記記事を読んだ
二十歳くらいの頃、アメリカのオタクと文通をしていたことがあり、そのときに「日本語には複数形がないよ」と教えたら、「じゃあ完璧なコミュニケーションができないじゃん」と言われたことがある。そのときは、複数形はあってもなくても同じだと思っていたし、今でも日本人としてはそう思っているのだが、この前初めて複数形の方が意味がはっきりする場面があることに気づいた。 駅で電車を待っていたときのことである。「黄色い線の内側でお待ちください」というアナウンスが流れた。この「黄色い線の内側」には二通りの解釈があり、多くの人は黄色い線と黄色い線の間という解釈をするはずだが、たまに黄色い線の上という解釈をする人もいる。日本語としては両方とも正解である。 ここでこの表現を英語に書き直すと"the yellow lines"であり、linesと複数形になっているので間違えようがない。確かに、複数形があった方が意味がはっ
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