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格差と文化に関するuuukeyのブックマーク (2)

  • 労働と読書は両立しない? - 集英社新書プラス

    ●労働と読書は両立しない? 麦「俺ももう感じないのかもしれない」 絹「……」 麦「ゴールデンカムイだって七巻で止まったまんまだよ。宝石の国の話もおぼえてないし、いまだに読んでる絹ちゃんが羨ましいもん」 絹「読めばいいじゃん、息抜きくらいすればいいじゃん」 麦「息抜きにならないんだよ。頭入んないんだよ。(スマホを示し)パズドラしかやる気しないの」 絹「……」 麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」 (坂元裕二『花束みたいな恋をした』p114、リトル・モア、2021年) 生活するためには、読んで何かを感じることを、手放さなくてはいけない。そんなテーマを通して若いカップルの恋愛模様を描いた映画『花束みたいな恋をした』は、2021年に公開され、若者を中心にヒットした。私自身は主人公の年齢とほ

    労働と読書は両立しない? - 集英社新書プラス
  • タワマン文学とマイルドヤンキー文化の断層が21世紀の日本には広がっている 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.741|佐々木俊尚

    特集 タワマン文学とマイルドヤンキー文化の断層が21世紀の日には広がっている〜〜〜地方のヤンキー文化と、そこからこぼれ落ちるホーボーたち インターネットが普及してさまざまな知識が得やすくなった反面、わたしたちの認識は自分の視界に入るところに限定されてしまっている状況を近年強く感じます。いまの20代〜30代の都市生活者の多くは都市出身で、地方生活がどんなものなのかという肌感覚がわからない。いっぽうで地方に住んでいる人たちはもはや都市への憧れなど持っておらず、多くが自分たちの仲間の中だけで充足している。 日は1980年代ごろまでは「総中流社会」と呼ばれていましたが、この総中流という幻想が崩壊して社会が多様になりさまざまなグラデーションができているのですが、ところが「自分のいる場所」の外側に対する関心は逆に失われているように感じます。日社会を「われらの社会」と捉える概念も薄れてきている感が

    タワマン文学とマイルドヤンキー文化の断層が21世紀の日本には広がっている 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.741|佐々木俊尚
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