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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (7)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://blog.so-net.ne.jp/Shiseigaku/2005-11-06 「O氏」となっているが、私のことだ。事実誤認に満ち満ちているが、議論はしないという卑怯者。 「私の主張を無視するなどもってのほかだ。私が意見をすれば、あまねく全ての人間はすぐさま回答しなければならない。回答せずに私を無視する人は、ファッショ的な迫害者の手先である。 ここまでくると、依存症に加えて誇大妄想的である。多くの全く面識のない人に対して、いきなり自分の書いたものを送りつけ、回答を執拗に強要する」 冗談ではない。当に読んで言っているのか疑わしい。既に国家、公共施設等々が喫煙者に迫害を加えている現実がある以上、疑問に回答する義務があるのは当然である。 「「自分は好きなときに、好きなところでたばこを吸いたい」との個人的な欲求だけである。」 そのようなことは言っていない。2003年以降、爆発的に禁

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 「バルバラ異界」とオカルト - jun-jun1965の日記

    SF大賞を受賞した萩尾望都の「バルバラ異界」四巻を読み終えた。「フラワーズ」連載だが、私は15年以上「プチフラワー」を毎回読んでいて、これがなくなって「フラワーズ」になってから、読むのをやめていたのだ。特に萩尾の前作「残酷な神が支配する」は辛かった。 さて「バルバラ異界」は、まあ、普通のSFで、「ドグラ・マグラ」の末裔のようなものだ。特に面白くはない。しかし気になったのは、その「オカルト風味」である。「サイエンス・フィクション」といっても、もともと、オカルト・フィクションとの区分は曖昧だ。常に科学的根拠が示されるわけではないし、ここでも、記憶が子孫に遺されるからくりは説明してあるが、夢の中に入るからくりは全然説明されていない。中でも、個人が消えてみなの心がひとつになる、というアイディアが出てくるのが気になった。 私は、1999年11月の「諸君!」に、売春をすると自我が融合するから危険で

    「バルバラ異界」とオカルト - jun-jun1965の日記
    uzimusisann
    uzimusisann 2007/01/21
    ハードSF→SF→オカルトフィクション???
  • 引用された・・・ - jun-jun1965の日記

    中公新書の佐藤八寿子『ミッション・スクール』というのが、著者謹呈で送られてきた。別に知らない人である。私より三つ年上の社会学者で、これが最初の単著らしい。私のが参考文献にあがっているのかな、と思って見て行ったら、がーん。「小谷野敦 を償うにをもってせよ」・・・・。これである。活字に引用されてしまった。少々焦りつつ、文中の引用箇所を探したら、「夏の思い出」に関する箇所で、まあ、特に問題はない。 この方、神戸ファッション造形大学専任講師とあるが、そんな大学あったんだ・・・。どうやら遅く大学院に入った人らしい。京大にいた竹内洋教授に教わったようだから、まさかこれだけ見ているということはないだろう。『恋愛の昭和史』くらい読んでいるだろう。そしてこの文章もすぐ読むだろう。佐藤さん、どうも。 しかしこの、パラパラと見ただけで、だいたい何を言わんとしているだか分かってしまう。タイトルも「ミッ

    引用された・・・ - jun-jun1965の日記
    uzimusisann
    uzimusisann 2006/09/30
    中公新書の佐藤八寿子『ミッション・スクール』*プライベートモードなのでもう読めないTT
  • 祝! 男児ご誕生 - jun-jun1965の日記

    ・・・とでかでかと表紙に記してある『週刊朝日』を外国人に示して、これは左翼・フェミニズム系とされる新聞社が出している雑誌だと言ったらたまげられるだろうなあ。オペレッタ(サヴォイ・オペラ)「ミカド」でバカにされるだけの理由はあるよ、日人は。 - こんな会話を耳にすることがある。「看護婦がさあ」「あら、今は看護婦って言っちゃいけないのよ、看護師っていうのよ」 単に法律上、看護婦と看護士を「看護師」と統一しただけなのに、マスコミがそれを「規制」と勘違いして「看護師」にし、一般人はそれを「新しい道徳」と勘違いしてこういうことを言う。最近、こういうことが多い。 法と道徳はずれるものである。嘘をつくことは道徳的に悪いことだが、それで利益を得たりしなければ法的罪にはならない。しかし、「児童ポルノ・児童買春規制法」ができた時から、これらは道徳的に悪いものになったのだ、と思う者たちがいる。17歳の少女と合

    祝! 男児ご誕生 - jun-jun1965の日記
    uzimusisann
    uzimusisann 2006/09/21
    法と道徳のずれ
  • テレヴィジョンは不滅か - jun-jun1965の日記

    「今、検索されている言葉」を見ると、上位はたいていテレビ番組関係である。かつて映画が登場して演劇や見世物の地位を脅かし、テレビが登場して映画を斜陽産業と呼ばしめた。しかしどうも、インターネットは、新聞は脅かしているが、テレビは脅かしていないらしい。 私の父は毎日寝転がって、朝から晩まで時代劇か「寅さん」か野球かサッカーを観ている。この映画おもしろいよ、とビデオを渡しても、進んで観ようとはしない。レンタルビデオ店へ行ったことがないという女性は多い。まあ、後ろのほうにああいうのがあるからかもしれないが。 ウェブだネットだブログだと騒いでいる人がいて、ブログを書く人もミクシィの会員も増えてはいるが、これはいずれ頭打ちになるだろう。所詮はインテリおよび亜インテリのものでしかなく、大衆はそのうち飽きる。 たとえばニュースで、どこそこ大学の助教授がセクハラでなんたら、というのが匿名報道されていると、私

    テレヴィジョンは不滅か - jun-jun1965の日記
  • 松浦寿輝を追撃 - jun-jun1965の日記

    中村文則は二十代だし、ものごとがよく分かっていないのだろう。井口時男はどうもそんな悪辣な気がしない。いちばんたちが悪いのが松浦寿輝である。 かつて『批評空間』の公開シンポジウムで、東浩紀が自著への松浦の書評に激怒して憤懣をぶちまけ、柄谷が「松浦なんか関係ない」となだめる一幕があった。東のその怒りがもとで鎌田哲哉とも喧嘩してしまったようなもので、しかし鎌田というのも、単著もないのになぜああでかい顔をしているのか、謎である。知里真志保の怒りについては藤英夫『知里真志保の生涯』に詳しく書いてあって、鎌田は単によく論理の分からない文章でさらに激怒してみせたら、浅田彰が『VOICE』で「怒れる批評家の誕生」とかいって持ち上げたのでその気になったようだが、まあそれはいい。 以前松浦が『文藝春秋』に随筆を書いていて、確か文春のベスト・エッセイ集『母のキャラメル』に入っている「心底驚いたこと」だと思うの

    松浦寿輝を追撃 - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    ヨコタ村上孝之は、私の先輩に当たる。同僚でもあった。しかし今では、絶縁状態であり、犬猿の仲である。その理由を説明しよう。 ヨコタ村上孝之は、もと村上孝之だった。年齢は私より三つ上、大学院で五つ先輩で、つまり私が入学した時は、博士課程の五年目になっていた。背は私と同じくらいだが、宮亜門のような顔で、女たらしだという噂だった。私が入学して一年で、大阪大学へロシヤ語教師として赴任したのだが、後で聞いたところでは、阪大のトロツキストのロシヤ語教授(藤和貴夫)が「酒の飲めるおもしろい奴はいないか」と訊いてきて推薦されたという。これはまあ冗談半分としても、酒癖の悪い人であることは、後に分かる。語学の才能があり、ロシヤ語、英語その他いくつかの言語を自在に操っていた。赴任する前に、後にミス大阪になったという、自分より背の高い女性と結婚し、「今までつきあった女の子全部と取り替えてもいい」と言っていたそう

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