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  • 【偽物が高値買取??】天保通宝(天保銭)、その価値とは? - 高く買取-壱ノ型

    天保通宝とは? 地方での〇〇の横行 幕府発行の天保通宝の種類、その古銭としての価値とは? 諸藩発行の天保通宝の種類、その古銭としての価値とは? まとめ おすすめの古銭買取業者BEST3 天保通宝とは? 天保通宝は江戸時代末期天保6年(1835年)から明治24年(1891年)に通用停止となるまで、56年の間、広く流通した銭です。 大阪の銀座で作られた真鍮四文銭の成功で銀座が潤ったことに対抗心を燃やした江戸金座の後藤家により、天保6年(1835年)に鋳造されました。 当時の額面価値は100文(現代価値 約1,152円)で、当時の発行当時の換算レートでは65枚で金一両と交換出来る程度の価値を持つ銭貨でした。 しかし、天保通宝に使用された金属の価値は額面価値に比べて著しく低く、20~30銭程度の価値しかないと言われており、実際には80文で通用していたようです。 地方での〇〇の横行 天保通宝は額面価

    【偽物が高値買取??】天保通宝(天保銭)、その価値とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/03/08
    うわ~この楕円に穴のやつは触ってみたいですね
  • プレミア切手とは?代表的なプレミア切手の価値とは。 - 高く買取-壱ノ型

    プレミア切手とは? 切手にプレミアが付く条件とは? 代表的な「現存数が少ない切手」とは? 代表的な「きれいな図案が印面に使用されている切手」とは? 代表的な「根強いコレクターがいる切手」とは? まとめ おすすめの切手買取業者BEST3 プレミア切手とは? プレミア切手と聞くとイメージするのは、額面50円の切手が5,000円の価値を持つなど元々の額面の数10倍もの価格で取引される切手をイメージするかもしれませんが、実は切手の額面価値より1円でも高い切手は全てプレミア切手として扱われています。 プレミアが付かない通常の切手であっても、切手は郵便物に貼り付けて、配達費用として利用可能な為、切手自体の額面価値は担保されており、額面価値以下に値崩れしにくい金券としての価値も持ち合わせています。 切手にプレミアが付く条件とは? 切手にプレミアが付く条件として上げられるのは、 1. 切手の現存数が少ない

    プレミア切手とは?代表的なプレミア切手の価値とは。 - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/03/08
    コレクション界の色々な常識があって面白いですね
  • 【古銭買取】100円札の変遷とその価値とは - 高く買取-壱ノ型

    100円札の変遷とは? 100円とは、現代の価値で考えると自動販売機でジュースを買うにも足らないという細かなお金の感覚ですが、明治・大正・昭和・平成・令和と時代が変遷する中で物価の価値は明治と現代では数千倍もの差があります。 同じ額面でも、明治・大正期は数十万円、昭和初期でも数万円と現代の物価価値とは大きな乖離があり、100円と聞いた時のインパクトも大きく違うようですね。 旧百円券とは? 旧100円券として1895年に100円札が発行されました。 その当時の100円の価値は現在の100円の価値の6,100倍の61万円というとんでもない金額の紙幣が発行されました。 これだけ高い紙幣なので、発行部数ももちろん少なく、その上、紙質を補強する為こんにゃく粉が混ぜられており、ねずみによる害が発生し、回収されることとなりました。 その回収率は高く、現存数は1~2枚とも言われる幻の紙幣とも言われており

    【古銭買取】100円札の変遷とその価値とは - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/22
    祖父のへそくりにあったような気がしますが…もうどこに行ったかわからないな~(悔しい)
  • 【古銭買取】聖徳太子のお札の種類 その買取額とは? - 高く買取-壱ノ型

    聖徳太子のお札とは 昭和5年、金解禁を記念して歴史上の人物でまだ採用されていなかった聖徳太子が「乙百円券」の肖像として初めて採用され発行される運びとなりました。 これまでの日の紙幣の肖像はキヨッソーネが残したものを原版彫刻する形で作っていましたが、俗に第一次聖徳太子百円札と呼ばれる乙百円券はデザイン担当の磯部忠一(いそべただかず)が1年数カ月をかけて聖徳太子像を完成させた、まさに日初の「純国産紙幣」と言えます。 それ以来、お札の肖像として採用された回数は聖徳太子が最も多く、戦前2回、戦後5回の合計7度も採用されました。 戦後のGHQによる占領政策下では、戦前に紙幣などに使用された人物は軍国主義的な色彩が強いということで排斥される流れがありましたが、唐所の日銀総裁がGHQに対し、「聖徳太子は「和を以て貴しとなす」という言葉が示す通り、平和主義者の代表である」と主張して聖徳太子をお札の肖像

    【古銭買取】聖徳太子のお札の種類 その買取額とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/18
    百円札があったんですね💴
  • 【時価50万円??古銭買取】10円玉 エラーコイン - 高く買取-壱ノ型

    エラーコインとは? 毎年のように大量に発行されるコインですが、機械で作業をしている為、当然のように作業ミスが起きます。 通常であれば造幣局による厳しいチェックにより、エラーがあるコインは世に出ることは無いのですが、その厳しいチェックをすり抜けて世に出るコインがあります。 それが、俗にエラーコインとしてコレクターの間で珍重されています。 上に上げたものはエラーコインの一例となりますが、「影うち」とはコインの裏表に限らず、画像が反転してしまったもの、「影映り」とは来裏表のデザインが透けて見えてしまうもの、「穴無し」とは50円や5円の穴が開いていないもので、「穴ズレ」とは文字通り50円や5円の穴がズレているものとなります。 他にも多くのエラーがありますが、基的にはっきりと分かるエラーであるほど価値が高いと言われており、保存状態、使用済みコイン・未使用コインということでも価値が分かれるようです

    【時価50万円??古銭買取】10円玉 エラーコイン - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/17
    エラーコインというのがある事を知りませんでした
  • 【時価300万円??古銭買取】甲州一両金(露一両金)? - 高く買取-壱ノ型

    甲州金とは? 甲州金は戦国時代、甲斐の国一国で通用した「日で初めて制度化された貨幣」と言われています。 その制度は、「1両=4分=16朱=64糸目=金15g」と4進法が採用されており、戦国期には戦場で活躍した部下の恩賞として活躍したようですね。 また、現在でもつかわれている「金に糸目をつけぬ」などの言い回しも甲州金の「糸目」から発生していると言われています。 当時の1両の価値は現在で換算すると約29万円となっており、重量が15gほどである為、持ち運びも容易であり、金自体の価値が担保されている為、必需品の買い入れや部下に対する恩賞にも使用できるなど、戦国武将にとっての金の価値は計り知れなかったようですね。 この武田信玄の時代に体系化された甲州金ですが、江戸時代の貨幣制度のルーツとしても知られており、江戸時代に入っても例外的に使用が認められており、山梨県では明治初期まで甲州金が使用されていた

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    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/15
    うわーこれはカッコイイ、『両』てぐっときますね
  • 【買取額500万円??古銭買取】昭和 新20円金貨とは? - 高く買取-壱ノ型

    昭和 新20円金貨とは? 明治30年新貨幣法の制定により、従来の旧金貨からデザインを一新した新20円金貨が明治30年~昭和7年までの30年以上の期間に渡り発行されました。 幕末の混乱期から日清戦争前後まで、日の金の流出が続いており、日では金貨の製造が滞っていました。反面、銀貨の製造量は安定しており、当時の日は実質的には銀位制の通貨体制が惹かれているような状態と言えました。 明治27年、日清戦争に勝利した日はその賠償金2億両を元手にして金位制を確立すべく、明治30年新貨幣法を制定し、従来の旧金貨の金の重量を半分にし額面金額と金貨に実際に使用されている金の価値が同等となる位金貨を発行し、昭和7年までの30年以上に渡り発行が続きました。 しかし、昭和5年に金輸出を解除、世界恐慌の影響もあり、日経済は混乱し、金位制は崩壊、昭和5年~昭和6年発行の新金貨はほとんどが海外に流出してし

    【買取額500万円??古銭買取】昭和 新20円金貨とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/12
    デザインも可愛らしいので大事にしたくなりますね
  • 【買取額100万円以上??古銭買取】大正7年~8年 八咫烏銀貨とは? - 高く買取-壱ノ型

    大正7年~8年 八咫烏銀貨とは? 1914年(大正3年)~1918年(大正7年)にかけて主に欧州で争われた第一次世界大戦により、欧州地区の労働階級の賃金が暴騰した為、労働階級による銀装飾に対する需要増があったこと、また、当時、世界の銀の一大産地であったメキシコで革命があり、銀の産出量が半分以下に激減したことで銀相場は高騰していました。 そこで、日政府はそれまで使用されていた「旭日50銭銀貨」から形態を縮小し、50銭・20銭・10銭の意匠に一般公募からなる八咫烏が用いられた銀貨を製造しました。 しかし、大正7年、8年となっても銀の暴騰は留まらず、50銭銀貨に使用された銀の価値が73銭ともなる約1.5倍もの価値を持つに至り、既に50銭・10銭の銀貨は日銀行に持ち込まれて発行をまつだけの状態でありながらも、銀貨を発行すればするほど、政府の損失が膨らんでいく状況である為、そのほとんどが市場に発

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    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/10
    こんな小さい銀貨が100万円、この希少価値は日本国内のみ通用するんでしょうかね
  • 【古銭買取】昭和20年未発行 陶貨(とうか)とは? - 高く買取-壱ノ型

    未発行 陶貨とは? 昭和初期から終戦までに発行された貨幣は1銭・5銭・10銭の少額貨幣で50銭以上の通貨は紙幣で発行されていました。 昭和8年から昭和12年にかけて日中間の関係が悪化しており、戦時に備えて軍需素材となるニッケルを備蓄する為、通貨の素材はニッケルが採用されるようになります。 昭和13年4月1日には国家総動員法の公布に伴い、臨時通貨法にて昭和13年からアルミ銭を発行し、上記、ニッケル素材の通貨の回収が始まりました。 昭和19年、戦線を拡大し過ぎた日は各地での戦局が悪化し、とうとう金属自体の供給も不足することとなり、楠正成5銭札、八紘一宇10銭札などの少額貨幣までもが紙幣で発行されるようになりました。 そして、第一次世界大戦時のドイツで製造されたとされる陶器製の貨幣の製造を企画しました。 造幣局では陶器製の貨幣の製造は不可能だった為、京都、瀬戸、有田の民間業者に製造が委任され、

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    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/09
    こんなのがあったとは知りませんでした
  • 【古銭買取】日露戦争軍票買取とは? - 高く買取-壱ノ型

    日露戦争軍票とは? 軍票とは、読んで字のごとく戦時に通貨のごとく使用された政府発行の徴発証券とも言える物です。 明治10年に西郷隆盛により、不兌換紙幣が発行されましたが、政府発行として日で初めて使用されたものはこの日露戦争軍票と言われるものです。 元々、日清戦争時には軍事費を捻出する為、軍票発行の準備が進みましたが、軍票発行するということ自体が日で初めてということもあり、軍票図案の決定が日清戦争開戦後4カ月を経過しており、そこから印刷終了するまでに戦争は終了してしまい、日清戦争では実際に軍票が発行されることはありませんでした。 この日清戦争での反省を踏まえ、日露戦争時には日露間の関係悪化を見て、前もって軍票を印刷し、日露戦争時に使用する軍票として活躍したようです。 日清戦争では銀位制を取っていた日は軍票の作成が間に合わず銀兌換紙幣を使用しており、正貨が海外に流出してしまい、国内経済

    【古銭買取】日露戦争軍票買取とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/08
    銀兌換紙幣というのがあったんですね 💴
  • 日本最古の流通通貨-皇朝12銭とは? - 高く買取-壱ノ型

    はじめに 日で初めて、格的に流通した通貨として「和同開珎(わどうかいちん、708年発行)」が有名で聞いたことがある人も多いと思います。 しかし、実はそれに先立ち「富銭(ふほんせん、683年発行)」などの鋳造の記録が「日書紀」に記されており、「和同開珎」に関しては「格的に流通した通貨として」という何とも歯切れの悪い枕詞が付いて語られているようになっています。 どの国でも大差はないのですが、狩猟採集による自分のべ物や生活に必要な物は自分で採るという時代から、物々交換により、欲しいものと欲しいものを交換する時代が訪れます。 しかし、この物々交換では相手の欲しいものを所持していない場合や、交換する物と物の価値が釣り合わない等の問題が現れてきました。 そこで、価値が落ちにくいと言われている米や布、貝などと欲しいものを交換する「物品貨幣」が用いられる時代を経て、日では富銭から皇朝12銭

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    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/04
    富本銭知りませんでした、平成10年に見つかったんですね
  • 【買取額10万円?】ラグビーワールドカップ2019 日本大会記念 1万円金貨 買取価格とは? - 高く買取-壱ノ型

    ラグビーワールドカップ2019 日大会記念 1万円金貨とは? 2019年日で開催されたラグビーワールドカップですが、初のベスト進出を果たした日選手団の活躍は素晴らしかったですね。日中がラグビーブームに沸いたことは記憶に新しいと思います。 2019年の大会で、9回目、アジアでは初開催となるワールドカップでは当然のように記念貨幣が発行されています。 ラグビーワールドカップ記念硬貨1万円の買取額は10万円をこえており、たった3年で10倍のプレミアがついた人気の硬貨と考えてしまいそうですね。 しかし、元々の販売価格120,000円、販売数量10,000個となっており、元々、10倍のプレミアがついた状態で販売された記念金貨だった為、販売価格から考えると実はプレミアはまだ付いていません。 額面10,000円の金貨を120,000円で販売するのはかなりあくどいようにも感じますが、実はこの金貨には

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    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/03
    こういう記念ものを買ったことがないですが、価値が上がる可能性もあるんですね
  • 【古銭買取】幻の10円玉買取とは? - 高く買取-壱ノ型

    幻の10円玉とは? 昭和25年「臨時通貨法」を改正し、素材を洋銀(銅・ニッケル・亜鉛の合金)として10円洋銀貨は昭和25年~26年にかけて7億枚製造されました。当時の10円洋銀貨は、現在のものとは違い5円や10円と同様に中央に穴があいたものが採用されたようです。 元々の計画では25年から3年かけて10億枚(1年目6億枚、2年目3億枚、3年目1億枚)を製造する予定でしたが、10円洋銀貨の製造開始からほどなく、昭和25年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、ニッケル相場が急騰したことでニッケルの入手困難となりました。 当時、造幣局の手元に残った資材のみでは2年目の10円硬貨の製造数は1.3億枚が限界となっており、当初計画を縮小し、1年目の6億枚と併せて約7億枚の10円硬貨が製造されることとなりました。 昭和26年に入ってもニッケル不足は改善されず、同年5月31日にニッケル使用制限規則が公布されるととも

    【古銭買取】幻の10円玉買取とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/02/02
    不発行でも持っている人が居るんですね
  • 【未使用なら1億円の価値??】桜切手買取価格とは? - 高く買取-壱ノ型

    桜切手とは? 1872年7月、日で最初に発行されていた竜切手に変わり発行された切手で、桜切手との名前の通り、サクラの意匠を使用した切手となっています。 桜切手は日における切手としては竜切手に続く第二弾の切手と言え、この切手の発行から目打ちや裏のりが必ず施されるようになり、形・サイズも現行の普通切手と同様のものとなっています。 桜切手は竜切手と同様に、最初期の発行では和紙が使用されていましたが、全国への郵便事業の普及とともに、郵便切手の使用も活発となった為か、和紙では破れやすいとのクレームが相次ぎ、1874年には、切手の用紙を和紙から洋紙へ切り替える動きとなりました。それと同時に切手の売上金管理の為、納品ごとにカタカナがふられるようになりました。 桜切手は額面の種類も多く、カナ入り、カナ無し、果てはカナの種類など、その種類は多種多様であり、全てをコレクションしようとすると、あっという間に

    【未使用なら1億円の価値??】桜切手買取価格とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/28
    桁が違う~😵これはもう超希少アンティーク品ですね!
  • 【使用済みは10倍以上の価値??】小判型三五六はがきとは? - 高く買取-壱ノ型

    小判型三五六ハガキとは? 1871年4月20日、それまでの飛脚制度に代わって、東京~大阪間で郵便制度が始まりました。ね その6年後の6月、万国郵便連合(UPU)に加盟し、海外への郵便送達も可能となった為、同年11月20日に発行される形となりました。 こちらのはがきはUPU条約に基づいて、万国郵便連合加盟国間にのみ使用が限定されている為、「連合はがき」とも呼ばれています。 額面は、アメリカ、香港、中国北部宛として3銭、アメリカ、香港、中国北部以外のアメリカ経由が5銭、アメリカ、香港、中国北部以外の香港経由が6銭の3種のハガキが同時に発行されたため、「三五六はがき」とも呼ばれています。 現在の海外郵便は船便であれば、はがきの送達代金は60円と消費税がいらない分、国内郵便より安い価格で送達出来ることを考えると、この「三五六はがき」の発行当時の郵便代金が2銭に対して海外への郵便代金が1.5~3倍程

    【使用済みは10倍以上の価値??】小判型三五六はがきとは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/27
    使用済みを売るのは書いてある内容によっては気が引けそうですね
  • 【昭和すかしなし切手】 すかしなし切手は数倍から十数倍の価値?? - 高く買取-壱ノ型

    昭和すかしなし切手とは? 1871年4月20日に日郵便制度が始まってより、切手はお札に比べて流動性が低く、額面も低い為、切手偽造の可能性を考慮していなかったので、日の切手では偽造防止用の「すかし」が入っていない通常の紙に刷られる形となっていました。 ところが、大正2年いわゆる「菊切手偽造事件」が発生し、慌てた逓信省は大正3年から順次、普通切手でも「すかし」入りの用紙を使うようになりました。 菊切手偽造事件はこちら 大正時代は、図のように稲型の線がならぶ文様の「すかし」が入っており、大正すかしと呼ばれています。 昭和に入っても、すかし入りの切手が使用されていましたが、1950年代に入ると印刷技術の発展から切手の偽造が技術的に難しくなることもあり、1950年11月から順次、現行の普通切手を「すかしなし」の用紙に印刷するようになりました。 その当時、現役で発行されていた産業図案切手や新昭

    【昭和すかしなし切手】 すかしなし切手は数倍から十数倍の価値?? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/25
    すかしアリの切手目にする機会がなく珍しい気がしますが、希少性が重要なんですね
  • 【高額買取】逓信記念日制定記念 小型シート 買取とは? - 高く買取-壱ノ型

    逓信記念日制定記念 小型シートとは? 明治4年3月1日(新暦4月20日)、それまでの飛脚制度に代わって、東京~大阪間で郵便制度が始まりました。 逓信省ではこの郵便制度の記念事業の一環として昭和9年4月20日を「逓信記念日(ていしんきねんび)」と定め、 同日に日で最初の小型切手シートとなる「逓信記念日小型シート(逓信記念日制定記念)」が発行される流れとなりました。 この「小型シート」ですが、1921年にルクセンブルクにて皇太子誕生を記念して発行された、切手が5枚つながった物が最初と言われています。 アメリカではこの小さなサイズの切手シートを「スーベニア・シート(記念シート)」、イギリスでは「ミニチュアシート」と呼んでおり、日ではイギリスの呼び名を訳して「小型シート」と呼ぶようになったようですね。 この「小型シート」は世界でも「記念品」としての性格が強く、シートから切り離して使用するという

    【高額買取】逓信記念日制定記念 小型シート 買取とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/22
    ホントにちっちゃいですね、でも高価
  • 【高額切手】第一次昭和切手 洞水の能面50円 切手買取とは? - 高く買取-壱ノ型

    第一次昭和切手 洞水の能面50円切手とは? 題名で超高額切手と銘打ちながら、切手の額面が50円で参考買取額が4,500円では、看板に偽りありと感じた人もいるかもしれないですね。 しかし、この洞水の能面切手が発行された時期は1946年では封書の切手代金が30銭で、現在の84円に比べて実に280分の1の郵便料金となっており、当時の額面50円は現在の切手で考えると単純換算で14,000円もの高額切手となっています。 この切手が発行されるほんの数年前の1939年では封書の切手代金は4銭で、既に数年で7倍以上のインフレとなっていることは驚きですね。 バブル後の失われた30年で物価が数%~十数%しか上がっていない現代の日から考えられないほどのインフレが戦中戦後に起こっていたことが切手価格からも良く分かります。 物価があまり動くことのない現代であれば、切手価値がそれほど変わらない為、将来使うだろう分ま

    【高額切手】第一次昭和切手 洞水の能面50円 切手買取とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/20
    この切手が貼ってあったらちょっと怖いですね
  • 【高価買取】新高額切手 昭和白紙とは? - 高く買取-壱ノ型

    新高額切手とは? 「新高額切手」は1924年~1937年にかけて実に13年間発行された5円と10円の高額額面の切手です。 手紙1通を送るときの郵便料金が3銭程度であったことを考慮すると、現在の定型郵便の配達料金84円から換算すると、3銭→84円、5円→14,000円、10円→28,000円と、当時の貨幣感覚では、相当に高額な切手だったことが良く分かりますね。 日では第二次世界大戦で無条件降伏をしてから、戦後賠償や戦後復興などにより、戦前から数年で物価が急上昇しており、貨幣に対する価値観が変わってしまっているので、こうした「5円や10円の切手が高額なのか?」という違和感が発生することは興味深いですね。 今回、添付している写真は「昭和白紙」で製造されたものですが、「新大正毛紙」で製造された切手もあり、現在ではどちらも高額で買取されることが多いようです。 元々、当時少しずつ増え始めていた外国宛

    【高価買取】新高額切手 昭和白紙とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/14
    全然知らない切手が次々に出て来て勉強になりますね〒
  • 【高価買取】第一次昭和切手 藤原鎌足とは? - 高く買取-壱ノ型

    第一昭和切手 藤原鎌足とは? 額面5円の切手というと現在の貨幣感覚では、金額が上がった送料の端数を埋めるぐらいの感覚ではないでしょうか?5円で買えるものと言えば、すぐに思い浮かぶのは5円チョコぐらいですね。 しかし、第一次昭和切手が発行された1939年(昭和12年)では、ハガキの郵便料金2銭であり、2021年現在のハガキの郵便料金63円に比べると3,000分の1の価格となります。 そう考えると、額面5円の切手は当時としては大変高額な切手だったことが良く分かります。 当時の貨幣価値と現在の貨幣価値の単純な比較は難しいのですが、ハガキの郵便料金の単純な比較をすると、1939年当時、額面5円の切手は現在価値に換算すると実に額面10,000円~15,000円に相当する大変高額な切手であったことが分かりますね。 1939年当時、主要に流通していた2銭・4銭の切手は発行数量も多く、時代も比較的新しい為

    【高価買取】第一次昭和切手 藤原鎌足とは? - 高く買取-壱ノ型
    uzurabanashi
    uzurabanashi 2021/01/12
    切手として使うと5円の価値しかないとは納得いかない感じがしますね