ドジャースの入団会見に臨む野茂英雄(写真:getty Images) 動きが、一気に慌ただしくなった。 大阪市内のホテルの一室が、会見場に設定されていた。普段は、関西の新聞、テレビ各社の近鉄番記者を合わせても、10人程度しか出席しない。だから、宴会場のような広いスペースではない。そこに、記者たちがどっと詰めかけてきた。 1995年1月9日。 そのとき、私は近鉄番記者の「幹事社」を務めていた。球団広報に、報道陣側の要望をまとめて伝えたりする橋渡し役で、通例は年ごとの交代制。だから、この日の野茂の会見が、事実上の“初仕事”だった。 交渉決裂、野茂メジャー挑戦へ--。 その一報が、全国を駆け巡っていた。 ルーキーイヤーから4年連続最多勝。体を大きく捻り、剛球を投げ下ろす。宝刀・フォークでバットに空を切らせ、最多奪三振のタイトルも、同じく4年連続で獲得。近鉄はもちろん、日本を代表する存在だった。