「船上山の戦い」は、元弘3年・正慶2年(1333年)、「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)」を奉じた伯耆国の武将「名和長年(なわながとし)」と、幕府軍との間で起こった元弘の乱における一連の戦いの一つです。 船上山は、現在の鳥取県東伯郡琴浦町に位置しています。 隠岐から、名和長年を頼って脱出した後醍醐天皇は、隠岐守護「佐々木清高(ささききよたか)」の追手を逃れるために、天然の要害船上山に名和氏一族と供回り150名ほどで立てこもります。 元弘の乱の、後醍醐天皇の足跡をたどるために、この天然の要害に登山してきました。 20倍の軍勢差があったともいわれる幕府軍との壮絶な戦いの場所を、皆さんと一緒に体感してみましょう。 ちなみに、「船上山行宮(あんぐう)之碑」が建立されている、船上山山頂上北側の小丘「お休み場」では、西の島根半島から北の隠岐島までが一望できます。 後醍醐天皇がこの地でたびたび野立てされた
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