ブックマーク / nihon-rekishi.net (3)

  • 【御朱印集め】今更聞けない、神社仏閣で守るべき五つのマナー!

    御朱印のご利益って有る?神社仏閣で守るべき5つの礼儀!と題して、神社仏閣を巡りながら御朱印集めをする楽しみについて解説します。 以前から、御朱印収集がブームになっていると知ってはいたのですが、自分がこれ程までに、夢中になってしまうとは思わずびっくりしています。 きっかけは、出雲大社に最初におお詣り(神社=お詣り・お寺=お参り、以後おまいりを使用します)した平成二十五年六月一日、折角なのだから、今女性の間で流行している御朱印を頂こうかなぁ?と軽く考えたのが最初なんです。 しかしながら、出雲大社では、専用の御朱印帳を置いてはおられませんでした(周りのお土産屋さんでは、色々な種類の御朱印帳を売っています)。 好きな物を選べばよいのですが、気を付けた方がよいことがあります。 「御朱印帳買いすぎ注意!」です(笑) ブームによって御朱印帳は種類も豊富になって、可愛い物も多くなっています。 私も完了した

    【御朱印集め】今更聞けない、神社仏閣で守るべき五つのマナー!
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    vask 2019/04/18
  • 「後醍醐天皇」船上山にて再起「鎌倉幕府」討伐の烽火を上げる!

    「船上山の戦い」は、元弘3年・正慶2年(1333年)、「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)」を奉じた伯耆国の武将「名和長年(なわながとし)」と、幕府軍との間で起こった元弘の乱における一連の戦いの一つです。 船上山は、現在の鳥取県東伯郡琴浦町に位置しています。 隠岐から、名和長年を頼って脱出した後醍醐天皇は、隠岐守護「佐々木清高(ささききよたか)」の追手を逃れるために、天然の要害船上山に名和氏一族と供回り150名ほどで立てこもります。 元弘の乱の、後醍醐天皇の足跡をたどるために、この天然の要害に登山してきました。 20倍の軍勢差があったともいわれる幕府軍との壮絶な戦いの場所を、皆さんと一緒に体感してみましょう。 ちなみに、「船上山行宮(あんぐう)之碑」が建立されている、船上山山頂上北側の小丘「お休み場」では、西の島根半島から北の隠岐島までが一望できます。 後醍醐天皇がこの地でたびたび野立てされた

    「後醍醐天皇」船上山にて再起「鎌倉幕府」討伐の烽火を上げる!
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    vask 2019/01/18
  • 「後醍醐天皇」悪党「名和長年」の力を頼って隠岐を脱出!

    「後醍醐天皇」悪党「名和長年」の力を頼って隠岐を脱出!と題して、伯耆の国(現在の鳥取県西部)で「元弘の乱(げんこうのらん)」の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の足跡をご紹介します。 「元弘の乱」は、元弘元年(1331年)に起きた、後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府倒幕運動です。 元弘3年・正慶2年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡に至るまでの一連の戦乱を含めることも多く「元弘の変」とも呼ばれます。 このたぐいまれな才能を持った天皇は、歴史好きな私の「大好きな天皇トップ5」に「昭和天皇」「今上天皇陛下」と共に挙げられる天皇です。 昭和天皇は御老齢に成られて、口元をモゴモゴと動かされながら、手を右左では無く前後に振られる好好爺のイメージが強いので、意外に思われるかも知れません。 しかしながら、歴代の天皇の中で唯一日国土を外国に占領さながら、現在の経済成長をもたらしたのは、陛下自身の死をも覚悟

    「後醍醐天皇」悪党「名和長年」の力を頼って隠岐を脱出!
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    vask 2019/01/16
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